環境保健クライテリア 174
Environmental Health Criteria 174


イソホロン  Isophorone
(溶剤・化学品原料)

(原著84頁,1995年発行)

-目次-
1.要約および評価
2.結   論
3.勧   告

1.要約および評価
1.1 物質の同定、物理的・化学的特性、分析方法
イソホロンはハッカに似た匂いをもつ無色の液体である。それは水に溶け(12g/l)、大多数の有機溶剤に混和する。凝固点は-8.1℃、沸点は215℃である。20℃における蒸気圧は40Pa(パスカル)であり、蒸気密度(空気=1)は4.7である。また、安定した物質である。

工業製品原体のイソホロンの市販品には、1〜3%のβ-イソホロン(3,5,5-トリメチル-3-シクロヘキセン-1-オン)異性体を含み、αおよびβ異性体の合計は99%を超える。

a 物質の同定
一般名Isophorone
化学式C9H14O
化学構造  3次元
分子量138.2
その他の名称2-cyclohexene-1-one,3,5,5,-trimethyl;
3,5,5-trimethyl-2-cyclohexene-1-one;
1,1,3-trimethyl-3-cyclohexene-5-one;
α-isophorone;isoacetophorone;isoforone;
izoforon;1,5,5-trimethyl-3-oxo-cyclohexene
CAS登録番号78-59-1
EEC番号606-012-00-8
EINECS番号1011260
RTECS番号GW7700000
換算係数(22℃,1,013hPa)1ppm=5.71mg/m3
1mg/m3=0.175ppm
b 物理的・化学的特性
表 イソホロンの物理的・化学的特性
物理的状態 無色液体
臭気 ハッカあるいは樟脳に似た匂い
相対比重 (20℃/4℃) 0.922
蒸気密度 (空気=1) 4.7
沸点 (1,013hPa) 215℃
凝固点 -8.1℃
蒸気圧 (20℃) 40Pa
     (25℃) 34.7Pa
溶解性 (20℃) 水中イソホロン 12.0g/l
17.5g/l
          イソホロン中水 53g/l
水に溶解する脂肪族および芳香族炭化水素、アルコール、エーテル、エステル、ケトンおよび塩素化された炭化水素類とあらゆる比率で混和する
溶解性パラメータ (Hansen) delta 19.2(J/cm3)1/2
                  delta D16.6(J/cm3)1/2
                  delta P8.2(J/cm3)1/2
                  delta H7.4(J/cm3)1/2
水素結合パラメータ ガンマ 14.9
log n-オクタノール/水分配係数 (20℃) 1.67(測定値)
1.7(計算値)
立体伸縮係数 (20℃) 0.00085℃-1
0.00078℃-1
表面張力 (20℃) 30mN/m
引火点 (閉鎖系) 85℃
発火温度 470℃
455℃
大気中爆発限界 0.8〜3.8体積%
大気中飽和濃度 (20℃,1,013hPa) 1,941mg/m3
蒸発熱 (気化熱) (215℃) 349.2kJ/kg
燃焼熱 (20℃) 38,100kJ/kg
相対誘電率 (20℃) 19.9
比抵抗 1×107オーム×cm
屈折率 (ND) (20℃) 1.4775
粘性率 (20℃) 2.6mPa
安定性 安定な物質で、鉄またはアルミニウムの容器内で保管される
長期保存すると、わずかに黄味を帯びる
表 イソホロンの構成成分(市販品)a
異性体β-イソホロン(3,5,5-トリメチル-3-
シクロヘキセン-1-オン)
1〜3%
α-およびβ-異性体の合計>99%

a Huls(1981);Atochem(1986)
1.2 生産および用途
イソホロンは、多数の合成樹脂および重合体、特殊塗料・印刷インクの溶剤として広く使用されている。また、化学物質中間体、ある種の農薬製剤の溶剤である。

1988年における世界での生産量は9万2,000トン程度と概算されている。

1.3 環境中の移動・分布・変質
イソホロンは、多数の工場、廃棄物投棄・廃水放出、溶剤および農薬担体としての使用から環境中に入る。水あるいは土壌への放出の後、環境中濃度は蒸発と生分解の結果として減少するであろう。大気中のイソホロンは、約30分と予測される半減期(数学モデルに基づく)で、光化学反応により除去される。減衰試験(Die-away test)においては、イソホロンはその約70%は14日以内に、95%は28日以内に生分解される。生分解の試験結果は変動があり、限られている。その水溶性、土壌吸着係数、極性は、浮遊固体類および堆積物による著しい吸着は起こりそうもないことを示している。

イソホロンは、魚類の体組織内で見出されているが、そのデータと物理的・化学的特性は、重大な生物濃縮は起こらないであろうことを示唆している。1日の半減期が、魚類の1種において測定されている。

1.4 環境中濃度およびヒトの暴露
イソホロンは環境大気中では測定されていない。石炭飛灰(coal fly ash)中のイソホロン濃度は490μg/kgと報告されている。イソホロンは、表層水(0.6〜3μg/l)、地下水(10μg/l)、都市部の流出水(10μg/l)、埋立地の浸出水(29μg/l)の中で確認されている。

イソホロンは工場廃水中で100μg/lの濃度で見出されている。従来の二次処理後の放出水中のイソホロン濃度は10μg/lであった。

イソホロンは湖沼の底質中(0.6〜12μg/kg乾重量)で、また、数種の魚類の体組織中において3.61mg/kg湿重量以下の濃度が確認されている。

イソホロンは、農薬の担体として施用された後のマメ科植物、米、甜菜の可食部分からは検出されていない。

1.5 実験動物およびヒトにおける体内動態と代謝
ラットを用いた分布実験では、経口投与された14C-イソホロンの放射能の93%は、24時間以内に主として尿中および呼気中で見出された。この後、最高濃度を保っていた体組織は、肝臓、腎臓、包皮腺であった。

ウサギの尿中に確認されたイソホロンの経口投与後の代謝産物は、3-メチル基の酸化、ケト基の還元、シクロヘキセン環の二重結合の水素添加により生成されたもので、それらはこれらの形で、もしくはアルコール類の場合はグルクロン酸誘導体として排出された。

経皮LD50(50%致死量)値は、イソホロンは経皮的に速やかに吸収されることを示している。

1.6 実験動物およびin vitro(試験管内)試験系への影響
イソホロンの急性毒性は低く、その経口LD50値は、ラットで>1,500mg/kg、マウスでは>2,200mg/kg、ウサギで>2,000mg/kgである。経皮LD50値は、ラットで1,700mg/kg、ウサギでは>1,200mg/kgを示した。ラットおよびウサギに対する経皮暴露からの急性影響は、軽度の紅疹から痂皮(かさぶた)までの範囲を示した。高濃度のイソホロンの眼への直接適用あるいは暴露後には、結膜炎および角膜の損傷が報告されている。マグナッソン・クリングマン試験を用いたモルモットにおいては、皮膚感作(訳者注:過敏状態の誘発)は報告されていない。

齧歯類に対する高用量(>=1,000mg/kg)の経口投与による急性および短期試験では、肝臓における変質作用、中枢神経系の抑制と一部の死亡が見られた。90日間の試験において、ラットおよびマウスの無影響量(NOEL)の500mg/kg体重/日が決定された。ビーグル犬(少数の)による90日間の経口試験においては、150mg/kg以下の用量では影響は見られなかった。

レビューされた急性および短期吸入実験では、眼と呼吸器系への刺激、血液学的影響、体重減少が認められている。この実験計画は不適切であったため、NOELは決定できず、ヒトの健康についての結論も下されていない。

イソホロンは、細菌の遺伝子突然変異、in vitroでの染色体異常、ラットの主要肝細胞におけるDNA修復、マウスの骨髄小核などを誘発することはない。その陽性の影響は、外因性の代謝系が存在しない条件下でのL5178YTK+/-マウスリンパ腫変異原性試験および姉妹染色分体交換試験においてのみ認められた。イソホロンは、外因性の代謝系が存在しない場合にはin vitroの形態学的細胞形質転換を誘発した。また、ショウジョウバエ(Drosophia)における伴性劣性致死突然変異を誘発することはなかった。すべての変異原性データの重要性は、イソホロンは強力なDNA反応化合物ではない、との主張を支持している。In vivo試験では、肝臓および腎臓(発がん試験において影響を受けた臓器)においてDNA結合は認められなかった。

マウスおよびラットによる長期経口毒性試験においては、オス・ラットは腎疾患、腎尿細管細胞の過形成、腎尿細管細胞腺腫と腺がんの低率の発生などを含む腎臓のいくつかの損傷を示した。これらの損傷における原因として、α2u-グロブリン蓄積の役割が確認されている。ヒトにおいては、多量のα2u-グロブリンは検出されていないため、この発がんメカニズムはヒトには関連しないように見える。イソホロンへの暴露後には、包皮腺がん腫が高用量投与の5匹のオス・ラットで認められ、2件の陰核腺腺腫が低用量のメス・ラットにおいて見られた。これらの腫瘍もα2u-グロブリン蓄積と関連するかも知れない。イソホロン暴露は、肝臓におけるある種の腫瘍性の損傷、オス・マウスの外皮およびリンパ性網皮組織、非腫瘍性の肝臓および副腎皮質の損傷などと関連していたが、これらは投与されたメス・マウスでは認められなかった。

ラットおよびウサギによる唯一入手し得る長期吸入試験では、1,427mg/m3以下(250ppm以下)において、眼と鼻粘膜の刺激、肺と肝臓の変化が認められた。しかし、これは実験の制約によるのであろう。

ラットおよびマウスにおけるきわめて限られた研究では、イソホロンは、実験動物の生殖能力に影響を与えず、発生毒性も生じさせることはない。

実験動物に中枢神経系の抑制を起こすという事実は、神経毒性影響の可能性を示している。イソホロンは遊泳行動断念試験(the behavioural despair swimming test)において陽性の影響を誘発した。

1.7 ヒトへの影響
イソホロンの匂いは1.14mg/m3(0.2ppm)の濃度において検出し得る。眼、鼻、咽喉の刺激は28.55mg/m3(5ppm)以下の濃度で、また、吐き気、頭痛、目まい、失神、酩酊は1,142mg/m3(200ppm)以上で報告されている。


1.8 実験室および自然界のその他の生物類への影響
陸生動物についてのデータは入手できない。

急性LC50値は、数種の淡水および海水生物種について入手できる。96時間のEC50値(細胞数およびクロロフィルによる)は105〜126mg/lの範囲である。ミジンコ(Daphnia magna)に対する48時間LC50値は117〜120mg/lであり、淡水魚類の96時間LC50値は145〜255mg/lの範囲である。

海洋性無脊椎動物類の96時間LC50値は12.9〜430mg/lの範囲であり、海洋性魚類の単一種のそれは170〜300mg/lである。測定暴露濃度による実験データは、公称(nominal)濃度による場合と差異はなかった。各所の実験室で試験されたファットヘッド・ミノー(Pimephales promelas)(訳者注:fat head minnow、コイの一種で魚毒性試験によく用いられる)に対するNOEL値は14〜45.4mg/lの範囲であった。

入手し得るデータは、イソホロンは水生生物類に対し低い毒性を有することを示唆している。




2.結   論
2.1 一般集団
イソホロンは、樹脂、重合体、農薬製剤の溶剤として用いられている。経皮および吸入暴露は起こるであろうが、それらはきわめて少ない(minimal)と考えられる。データでは、イソホロンは飲料水および魚類中でμg/l(kg)のレベルでの存在があり得ることを示している。試験における低い毒性と環境からの暴露が低い点から、一般集団へのリスクは最小(minimal)であるように見える。
2.2 職業暴露
十分な技術管理と産業衛生対策を欠く場合には、イソホロンの職業暴露は許容濃度を超え、眼、皮膚、呼吸への刺激を生じるであろう。より高濃度においては、その他の健康影響が起こるであろう。タスク・グループのレビューにおいては、作業者の長期健康影響についての研究は入手できなかった。
2.3 環   境
イソホロンは、その農薬担体としての使用と、溶剤としての偏在的使用にともなって、環境中に放出されるであろう。生分解、揮発作用、光化学酸化作用のために環境中での持続性は低いが、いくつかの環境媒体中で低濃度のイソホロンが確認されている。入手し得るデータは、イソホロンは水生生物類に対して低い毒性を有することを示唆している。



3.勧   告
3.1 ヒトの健康と環境の保護
地下水および空気の汚染を防止するための注意を払うべきである。

イソホロンの製造・使用に従事する作業者は、十分な技術管理と産業衛生対策により暴露から保護されるべきである。彼らの職業暴露は許容濃度以下に維持し、定期的にモニターすべきである。

3.2 今後の研究
a)暴露作業者の健康サーベイランス(訳者注:集団に発生する健康異常と、それに影響を与える諸要因を継続的に観測するシステムをいう)を実施すべきである。
b)工業地域周辺の水中のイソホロンの実際濃度を測定すべきである。
c)職業暴露の安全レベルを決定するため、実験動物において適切な短期/長期吸入実験を実施すべきである。
d)特に、イソホロンは埋立地の浸出液において確認されているため、その嫌気性生分解についての情報が必要である。