環境保健クライテリア 165
Environmental Health Criteria 165


無 機 鉛  Inorganic Lead

(原著300頁,1995年発行)

-目次-
1.要   約
2.ヒトの健康保護のための勧告
3.今後の研究
4.国際機関によるこれまでの評価

1.要   約
本モノグラフは、鉛および無機鉛化合物類への暴露に関連するヒトの健康のリスクに焦点をしぼっている。その重点は、環境保健クライテリア3:鉛(IPCS,1977)の発行以後、入手し得るようになったデータに置いている。環境に対する影響は、環境保健クライテリア85:鉛-環境面よりの検討(IPCS,1989)で取り上げられている。

1.1 物質の同定、物理的・化学的特性、分析方法
鉛は、柔軟で銀灰色の金属で、その融点は327.5℃である。それは腐食に対してきわめて強いが、硝酸および熱硫酸には溶ける。無機鉛化合物類の通常の原子価の状態は+2である。水溶解性は種類により異なり、冷水中では、硫化鉛および酸化鉛はわずかしか溶けないが、硝酸塩、塩素酸塩、塩化物塩類は中程度に(reasonably)溶ける。鉛は、乳酸、酢酸のような有機酸類と塩類を生成し、また、テトラエチル鉛、テトラメチル鉛のような安定した有機化合物類を形成する。

生物および環境試料中の低濃度の鉛の分析に最も一般的に用いられるのは、フレーム、黒鉛炉、高周波誘導結合プラズマ原子吸光分析法および陽極ストリッピング・ボルタンメトリーである。試料の前処理、抽出技術、分析器材の導入次第では、血中鉛において検出限界の0.12μモル/l(2.49μg/dl)の達成が可能である。しかし、信頼し得る結果は、試料採取、保存、処理、分析の過程において、汚染のリスクを最小限にする特別の手順を経た場合のみに得られる。

a 物質の同定
元素記号Pb
原子番号82
原子量207.19
天然の同位体208,206,207,204  (存在量の多い順)
同位体比率は鉱物資源により異なる
(この性質は、環境および代謝の研究で非放射性トレーサーとして利用されている)
b 物理的・化学的特性
表1  無機鉛の物理的・化学的特性a
物理的状態 青色または銀灰色のやわらかい金属
比重 11.34
沸点 (常圧) 1,740℃
融点 327.502℃
溶解性 冷水 不溶
     熱水 溶解する
     硝酸 溶解する
     熱濃硫酸 溶解する
     グリセリン 溶解する
     アルコール わずかに溶解する

a Weast(1985)より
表2  無機鉛化合物の同定および物理的・化学的特性a
酢酸塩Pb(C2H3O2)2
  分子量325.28
  融点280℃
  水溶解性  (冷水)443g/l

炭酸塩 白鉛鉱 PbCO3
  分子量 267.20
  融点 315℃ (分解)
  溶解性 冷水 0.0011g/l
       熱水 分解する
       酸 溶解する
       アルカリ 溶解する

塩素酸塩 Pb(ClO3)2
  分子量 374.09
  融点 230℃ (分解)
  溶解性 冷水 非常によく溶解する
       アルコール 溶解する

塩化物 塩化鉛鉱 PbCl2
  分子量 278.10
  沸点 950℃
  融点 501℃
  溶解性 冷水 919g/l
       アンモニウム塩 希塩酸、アンモニアにわずかに溶解する
熱水に33.4g/l溶解する

硝酸塩 Pb(NO3)2
  分子量 331.20
  融点 470℃ (分解)
  溶解性 冷水 376.5g/l
       熱水 1,270g/l 溶解する
       アルカリ、アンモニア 溶解する
       アルコール 溶解する

オルトリン酸塩 Pb3(PO4)2
  分子量 811.51
  融点 1,014℃
  溶解性 冷水 0.00014g/l
       硝酸 溶解する
       アルカリ 溶解する

シュウ酸塩 PbC2O4
  分子量 295.21
  融点 300℃ (分解)
  溶解性 冷水 0.0016g/l
       硝酸 溶解する

二酸化物 プラットネライト PbO2
  分子量 239.19
  融点 290℃ (分解)
  溶解性 冷水 不溶
       希塩酸 溶解する
       酢酸 わずかに溶解する

酸化物 酸化鉛 PbO
  分子量 223.19
  融点 888℃
  溶解性 冷水 0.017g/l
       希硝酸 溶解する
       酢酸 溶解する

硫酸塩 硫酸鉛鉱 PbSO4
  分子量 303.25
  融点 1,170℃
  溶解性 冷水 0.0425g/l
       濃硫酸 わずかに溶解する
       アンモニウム塩 溶解する

硫化物 方鉛鉱 PbS
  分子量 239.25
  融点 1,114℃
  溶解性 冷水 0.00086g/l
       酸 溶解する

a Weast(1985)より
1.2 ヒトの暴露源
地球の地殻内の鉛の含有量は約20mg/kgである。環境中の鉛は、天然あるいは人為的な源のいずれかに由来するものであろう。天然に由来する環境中の鉛には、地質の風化と火山からの排出があり、年間1万9,000トンと見積もられているが、これは採鉱、製錬および年間300万トンを超える消費から排出されると推算される量、12万6,000トンと対比される。

大気中の鉛の濃度は、辺鄙な地方で50pg/m3が見出されている。土壌中の鉛の濃度は10〜70mg/kgの範囲であり、沿道近傍での鉛の平均濃度は138mg/kgと報告されている。現在、鉛の水中濃度は数μg/lを超えることはまれであり、表層水中の鉛の天然の濃度は0.02μg/lと推定されている。

鉛とその化合物は、採鉱、製錬、加工、使用、回収、廃棄の過程のいずれの時点においても環境中に入る。主要な用途は、バッテリー、ケーブル、顔料、石油(ガソリン)添加剤、ハンダ、鉄鋼製品である。鉛および鉛化合物は、給水管や食品貯蔵缶の継ぎ目に使うハンダ、ある種の伝統的な手法では、アルコール飲料の瓶の栓、陶器の上薬(うわぐすり)、カットグラスの食器に用いられる。加鉛ガソリンがまだ使用されている国では、主要な大気への排出は、自動車および石油燃焼の固定発生源(都市中心部の)である。鉛鉱山や製錬所の周辺は、高濃度が大気中に排出されやすい。

大気中の鉛は土壌および水に蓄積し、食物連鎖および飲料水を通じてヒトに到達する。大気中の鉛は、ハウスダストの主要な発生源でもある。

1.3 環境中の移動・分布・変質
固定、移動、天然の発生源からの鉛の移動と分布は、主として空気を介してである。大部分の鉛排出物は発生源近くに蓄積されるが、一部の特別な物質(直径2μm以下)は長距離を移動し、北極の氷河のような遠隔地に汚染を生じさせる。大気中の鉛は、食物、水の汚染、塵埃、直接の吸入を通じて、ヒトへの暴露に寄与する。大気中の鉛の消失は、大気の状態と粒子の大きさにより影響される。大部分の鉛は土壌および水に放出される。しかし、それらの物質は、低い水溶性のため局地的に残留する傾向がある。

水中に蓄積された鉛は、それが大気から、あるいは土壌からの流失のいずれにせよ、堆積物と水の相との間の速やかな分配は、pH、塩分含量、有機キレート化物質の存在に依存する。pH5.4以上では、硬水は鉛を約30μg/l、軟水は鉛500μg/lを含有するであろう。土壌中に蓄積された鉛は、侵食あるいは地質の風化以外は、ほとんど表層水あるいは地下水に移動することなく、常態では有機物質と極めて強く結合している(キレート化)。

大気中の鉛は、直接に、あるいは土壌からの取り込みを通じて生物相に移動する。動物は、放牧、土壌摂取、吸入により、鉛に直接暴露される。食物連鎖を通じての生物濃縮はほとんどない。

1.4 環境中濃度およびヒトの暴露
非喫煙者の一般集団においては、主要な暴露経路は食物および水からである。大気中の鉛は、タバコ、職業、自動車道路への近接、鉛製錬所、娯楽活動(例えば、芸術、工芸、射撃目標練習)、その他の要因に依存して、暴露に対し大きく寄与するであろう。食品、空気、水、塵埃/土壌は、幼児および小児にとり主要な暴露経路であり、4〜5カ月未満の幼児にとっては、空気、ミルク、食事調理法、水は鉛の重要な暴露源である。

空気、食品、水、土壌/塵埃中で見出される鉛の濃度は、世界中において、また、工業化や都市化の程度、ライフスタイルの要因により、大幅に変わる。加鉛ガソリンがもはや使用されていない都市において0.2μg/m3以下の鉛濃度が見出されているのに対して、製錬所に近い都市区域において10μg/m3以上の大気中濃度が報告されている。したがって、大気からの鉛の取り込み量は、4μg/日以下から200μg/日以上まで変化することがあり得る。

水源で採取した飲料水中の鉛濃度は、通常5μg/l以下であるが、配管に鉛が使われている家庭の飲み口(蛇口)の水には100μg/l以上の濃度が含まれることがあり得る(特に、水がパイプ中で数時間滞留していた場合)。

食事からの鉛の暴露程度は、使う食料品、調理方法、鉛ハンダの使用、水中の鉛濃度、鉛含有の上薬を使った陶器の使用など、多くのライフスタイルの要素に依存している。

幼児や小児にとって、塵埃や土壌中の鉛は、暴露経路の主な構成要素としばしばなっている。塵埃中の鉛濃度は、家屋の築後年数と状態、含鉛塗料の使用、ガソリン中の鉛、都市の密集状態などの要素により左右される。鉛の摂取は、小児の年齢、行動特性、暴露源の物質における生物学的利用能(bioavailability)に影響されるであろう。

吸入は、鉛および鉛化合物の生産、製錬、使用、廃棄などの産業における作業者の鉛暴露の重要な経路である。作業者は、食品、水、空気から吸収する20〜30μg/日の鉛に加えて、8時間の交代勤務中に400μgを吸収することもあり得る。多量の取り込みは、吸入した比較的大型の粒子物質の摂取から起こるであろう。

1.5 実験動物およびヒトにおける体内動態と代謝
ヒトおよび動物においては、鉛は吸入あるいは摂取により吸収され、また、ヒトにおける経皮吸収はほとんどない(minimal)。化学物質の特性、微粒子の大きさ、体液中での溶解性次第で、吸入された50%までの鉛が吸収されるであろう。吸入された微粒子物質の一部(7μm以上)は、気道から粘液線毛による浄化を受けた後に嚥下される。実験動物およびヒトにおいては、鉛の消化管からの吸収は、摂取物質の物理化学的特性、栄養状態、摂取した食餌の種類により影響される。成人においては、食事中の鉛の約10%が吸収され、絶食状態の方が吸収率が高い。しかし、幼児や小児では、塵埃/土壌や塗料片からの吸収率は生物学的利用能に依存して低いが、食事中の鉛は50%が吸収される。カルシウム、リン酸塩、セレニウム、亜鉛の不足している食事は、鉛の吸収を増加させるであろう。鉄およびビタミンDも鉛の吸収に影響を及ぼす。

血中鉛濃度(PbB)は、鉛の生体負荷の程度および(体内)吸収量として用いられる。血中鉛と暴露源での鉛濃度の間の関連性は曲線である。

鉛はひとたび吸収されると、生体内に均一には分布されない。血液および軟部組織への速やかな取り込みの後、骨に緩慢に再分布される。骨はヒトの生涯期間の大部分を通じて鉛を蓄積し、鉛の内生的な暴露源として働くのであろう。血中および軟部組織における鉛の半減期は約28〜36日であるが、各種の骨部分においてはずっと長い。生体内貯蔵の鉛の停滞比率は、成人より小児で高い。ヒトの胎児への鉛の移動は妊娠期間中を通して容易に起こる。

血中鉛は、鉛暴露の程度の指標として、最も一般的に用いられている。しかし、現在は、歯および骨中の鉛を測定する技術が利用できるが、その体内動態は十分には解明されていない。

1.6 実験動物およびin vitro(試験管内)試験系への影響
試験に供された実験動物のすべての種において(ヒト以外の霊長類を含む)、鉛は造血系、神経、腎臓、心臓血管、生殖、免疫系を含むいくつかの臓器および臓器機能に有害影響を生じさせることが示されている。また、鉛は骨にも影響を及ぼし、ラットおよびマウスにおいて発がん性を示す。

実験動物とヒトとの間の体内動態の差異にもかかわらず、これらの試験はヒトにおいても強い生物学的支持と妥当性を提供する。PbB濃度0.72〜0.96μモル/l(15〜20μg/dl)のラットにおいて、また、PbB濃度0.72μモル/l(15μg/dl)以下のヒト以外の霊長類においては、学習/記憶能力の障害が報告されている。さらに、視覚、聴覚障害が実験動物試験において報告されている。

ラットにおける腎毒性はPbB濃度2.88μモル/l(60μg/dl)以上において発生すると見られ、これはヒトにおいて腎臓への影響発現が報告されている数値に類似している。ラットにおける心臓血管系への影響は、PbB濃度0.24〜1.92μモル/l(5〜40μg/dl)を生じさせる慢性低濃度暴露の後に見られる。腫瘍の発生は、最大耐量(maximum tolerated dose)の鉛(酢酸鉛として)200mg/l飲料水以下の用量レベルにおいて示された。この用量は、その他の形態学的あるいは機能的変化に影響を与えない最大の投与量レベルである。

1.7 ヒトへの影響
ヒトにおいては、鉛は、暴露の濃度と期間に依存して広範囲の生物学的影響を生じさせる。細胞以下のレベルから生体の全体的機能までの影響が認められ、その範囲は酵素類の阻害から著しい形態学的変化および死亡に及ぶ。このような変化は広い用量範囲で起こり、成長期のヒトは成人よりも感受性が高い。

鉛は多くの生化学的プロセスに影響することを示してきており、特に、成人および小児の双方におけるヘム(訳者注:ポルフィリン鉄錯塩の総称)合成への影響が研究されている。PbB濃度の上昇時には、血清赤血球プロトポルフィリン量の増加、コプロポルフィリンおよびδ-アミノレブリン酸の尿中排出の増加が観察される。δ-アミノレブリン酸のデヒドロゲナーゼ(脱水素酵素)、ジヒドロビオプテリン還元酵素などの酵素の阻害が低濃度において観察される。

造血組織に対する鉛の影響はヘモグロビン合成を減少させ、PbB濃度1.92μモル/l(40μg/dl)以上の小児においては貧血が認められる。

神経学的、代謝、行動上の理由から、小児は成人よりも鉛の影響を受けやすい。環境中の鉛暴露による中枢神経系準拠の心理学的機能への影響の範囲を評価するため、分析疫学の前向き研究(prospective study)および断面研究(cross-sectional study)が実施されている。鉛は、小児の神経行動的機能の障害に関連することが示されている。

心理学的および神経行動的機能の障害は、長期の鉛暴露後の作業者に見出されている。電気生理学的変数(parameter)は、中枢神経内の発症前の鉛の影響の有用な徴候であることを示している。

末梢神経疾患は、作業場における長期高濃度の鉛暴露により発生することが長い間知られている。低濃度においては、神経伝達速度の低下が見出されている。これらの影響は、作業者の年齢と暴露期間に依存して、暴露の中止後にしばしば可逆的であることが見出されている。

心臓に対する鉛の影響は間接的であり、自律神経系を介して起こり、心筋層への直接の影響はない。成人集団による研究からの総合的な証拠は、PbB濃度と心臓弛緩期および収縮期の血圧との間の関連性はきわめて低いことを示している。関連する交絡因子(confounding factor)の困難さを認めるとしても、これらの研究からは因果関係の確認はできない。血圧とPbB濃度との関連性が、健康に重要であることを示唆する証拠は存在しない。

鉛は、全身性のアミノ酸尿、高リン酸血症に関連する低リン酸血症、核封入体、ミトコンドリアの変化、近位腎細管上皮細胞の巨大細胞化をともなう糖尿を特徴とする、近位腎細管の損傷を発生させることが知られている。腎細管への影響は、比較的短期の暴露後に認められ、一般的に可逆性であるが、腎機能低下と腎不全を発症させるような硬化と間質性の繊維症の発現には、高濃度の鉛への慢性暴露が必要である。腎疾患のリスクの増加は、3.0μモル/l(約60μg/dl)以上のPbB濃度を有する作業者において認められた。最近において、より感受性の高い指標を測定した場合には、一般集団中でも腎臓への影響が見られている。

男性の生殖に対する鉛の影響は、精子の形態と数に限られている。女性では、妊娠への悪影響の一部が鉛に起因している。

鉛は、皮膚、筋肉、免疫系には毒性影響を与えないようである。ラットの場合を除いては、鉛は腫瘍発生に関連しないようである。

1.8 ヒトの健康リスクの評価
鉛は、最も感受性が高いと見られる人々に対し、いくつかの臓器および臓器体系について、細胞レベル以下の変化と神経発達への影響をともなう悪影響を与える。PbB濃度と高血圧症(血圧)との関連性が報告されている。鉛は、ヘムの体内プールに対し段階的な影響を与え、その合成に作用を及ぼす。しかし、これらの影響の一部は有害とは見なされていない。カルシウムの恒常性が影響されるため、他の細胞プロセスを妨害する。
a)一般的にPbB濃度が1.2μモル/l(25μg/dl)以下の集団の疫学の断面研究および前向き研究からの最も実質的な証拠は、知能指数(IQ)の低下との関連性である。このような観察的研究は、鉛暴露との因果関係についての決定的な証拠とはなり得ない点に留意することが重要である。しかし、4年以上の暴露についての評価において、明らかなIQへの影響の大きさは、PbB濃度の各0.48μモル/l(10μg/dl)の増加について、通常の1〜3の明白な影響に対して0〜5ポイントの範囲の不足(標準偏差15の尺度で)を示した。PbB濃度が1.2μモル/l(25μg/dl)以上の場合には、PbBとIQとの間の関連性は変わるであろう。影響の大きさの予測値はグループの平均であり、確率的には個人の小児にのみ適用される。
現存する疫学研究は、閾値(threshold)の明確な証拠を示していない。PbBの濃度が0.48〜0.72μモル/l(10〜15μg/dl)以下の範囲では、交絡変数の影響、分析と精神測定学上の精度の限界は、影響のすべての予測に付随する不確定性を増加する。しかし、この範囲以下での関連性について、ある程度の証拠(some evidence)が存在する。
b)動物実験では、鉛と神経系機能との間の因果関係が確認されており、0.53〜0.72μモル/l(11〜15μg/dl)のPbB濃度において認識作用の欠損が報告されており、それは鉛暴露の中止後も持続を示した。
c)ヒトにおける末梢神経の伝達速度の低下は、PbB濃度1.44μモル/l(30μg/dl)の低いレベルで起こる。さらに、感覚運動機能は約1.92μモル/l(40μg/dl)で障害され、自律神経系機能(心電図のR-R感覚の変動性)は、約1.68μモル/l(35μg/dl)のPbB平均濃度において影響される。作業者における鉛による腎疾患のリスクは、2.88μモル/l(60μg/dl)のPbB濃度以上において増加する。しかし、腎機能のより鋭敏な指標を用いた最近の研究では、さらに低濃度の鉛暴露における腎臓への影響を示唆している。
d)鉛暴露は、軽度の血圧上昇に関連性を有している。その関連性の程度は、PbB濃度が2倍に増加した場合には(例えば、0.8から1.6μモル/l、即ち16.6から33.3μg/dlへの増加)、心臓収縮期血圧において平均1mmHg上昇する。心臓弛緩期での関連性は類似しているが、その程度はより低い。しかし、これらの統計学的関連性が、本当に鉛暴露の影響なのか、あるいは攪乱要因による人為的結果(artifact)なのかについては疑問がある。
e)一部の疫学研究(すべてではない)では、PbB0.72μモル/l(15μg/dl)以上において、早産および胎児の成育と成熟の一部の指標に用量依存性の関連性が示された。
f)ヒトにおける鉛およびいくつかの無機鉛化合物の発がん性の証拠は不十分である。
g)多種類の酵素系および生化学的パラメータに対する鉛の影響が立証されている。臨床的な意義を有するこれらのパラメータに対し、現在の技術で立証できるPbB濃度は、すべて0.96μモル/l(20μg/dl)以上である。酵素についての一部の影響は、より低いPbB濃度で立証可能であるが、その臨床的意義は不明確である。



2.ヒトの健康保護のための勧告
2.1 公衆衛生対策
公衆衛生上の対策は、鉛および鉛化合物の使用の減少による鉛暴露の低減と防止、ヒトの暴露を生じる鉛含有の排出物を最小限にする方向を指向すべきである。これは次により達成することができる。
a)現在継続使用中のすべての自動車燃料中の鉛添加剤の段階的使用中止。
b)鉛を基剤とした塗料の使用を一層削減し、この種の塗料の廃止を目指す。
c)鉛含有塗料で塗られた家屋の補修、鉛汚染土壌の改良について、安全で経済的な方法の開発と適用。
d)食品容器における鉛の使用中止(例えば缶詰の継ぎ目)。
e)食品の収納、調理、保存に用いる際には、鉛が溶出する上薬を用いた容器の確認を助けるための情報表示の普及。
f)農業における鉛および鉛化合物(例えば、殺虫剤としてのヒ酸鉛)の使用後の残留をなくすこと。
g)民俗療法や化粧品中において、汚染物質あるいは成分として見出される鉛を確認し、低減させ、なくすことが望ましい。
h)水処理や配水設備において、鉛の溶解を最少にするための材料と作業技術の利用。
i)作業者、第三者、環境のため、鉛が使用・再利用されている工程に対する、鉛の暴露の確認と減少を目的とする、進歩した技術計画による組織的な検査。技術移転(technology transfer)の機会は極力利用すべきである。
2.2 公衆衛生計画
公衆衛生計画は進展させるべきである。
a)データ収集を強化し、食品中の鉛含有量の情報を一般公開する。
b)食品、空気、水、土壌中の鉛のモニタリング・データに基づき、ハイリスクの鉛暴露の集団の確認を推進する。
c)鉛暴露のリスクを有する集団グループの健康リスクアセスメントについて、進歩した手法を統合する。
d)鉛の暴露に関連するヒトの健康影響についての理解と注意を推進し、一方、文化の違いによる感受性の差を認識する。
e)適切な栄養供給、ヘルスケア、環境中に存在する鉛の影響を悪化させる社会経済的条件への注目を重視する。
2.3 スクリーニング・モニタリング・評価手法
鉛の暴露に関する評価方法は、改善と今後の開発あるいは研究の双方を必要としている。短期的には、次の対策が必要である。
a スクリーニング
@)血中濃度測定は、小児の過去の鉛暴露のスクリーニングに対する優れた生物学的指標(biomarker)として認識すべきである。
A)鉛の有害影響に対する発達中の神経組織の感受性において、他の生化学的測定(例えば赤血球プロトポルフィリン)による、幼児や小児の評価は感度が十分ではない。

b モニタリング
@)精度および正確さの許容し得る基準に関して、血中鉛濃度0.72μモル/l(15μg/dl)以下の信頼し得る測定のため、さらに鋭敏な分析方法を開発すべきである。
A)鉛含有の基準試料(reference material)を用いた国際的な分析精度保証計画が必要である。
B)血中鉛測定データを含むすべての出版物は、現在の精度保証と精度管理について適切なデータを与えるであろう。
C)データの比較は、構成単位内の差異およびデータ処理の統計学的手法により、さらに困難となる。研究者には、国際的に合意されている実施方法(例えば、IUPAC単位)の採用を奨励する。

c 評 価
@)環境(外部)暴露と特定の影響(生化学的あるいは機能上の)との間の関連性を明確にするため、有効な生物学的指標が必要である。
A)リスクアセスメントを促進するために、認知能力の欠損を示す生物学的指標が必要である。
B)血中鉛濃度が約0.48μモル/l(10μg/dl)以下の鉛に起因する影響(特にIQと神経行動上の欠損)の確定のため、進歩した方法が必要である。
C)鉛に起因して神経系に発現する影響が、可逆的か永久的かを決定するためには、さらにデータが必要である。
D)鉛の腎臓への影響の生物学的指標が、鉛暴露と腎障害との関連のために必要であり、それにより腎障害のリスクアセスメントが進展する。



3.今後の研究
a 鉛への暴露に関連するリスクアセスメントのプロセスを改善するため、研究が必要である。特に、次の諸点を包含すべきである。
@)特に約0.72μモル/l(15μg/dl)以下の血中鉛濃度に関連する変化に着目し、鉛の暴露に関連した生化学的変化による健康の重要性の定義。
A)種々の暴露源からの鉛の生物学的利用能、暴露(発生源と特性)と生体負荷との間の関連性を明らかにする研究。
B)鉛の吸収と分布に影響を及ぼすホスト関連の要素(特に栄養)の作用の確定。
C)動物種間の外挿に進歩したデータベースをもたらす鉛の体内動態研究の強化。
D)鉛の蓄積のメカニズムおよび骨からの代謝について、特に体内動態に対する妊娠と加齢の影響に注目した解明。
E)成育中の胚および胎児への鉛の移動に関連し、また、それを低減させる要素について、妊娠女性における鉛の薬物動態の研究。
F)出生前後における鉛の暴露の影響の決定。
G)生殖プロセスとその結果に対する鉛の父親伝達の影響(paternally mediated effects)についての進歩した確定。

b 下記を含むより一般的な研究の必要性。
@)小児および動物において作業機能評価に用いられる神経行動的試験について、測定結果と、類似の生物学的メカニズムを用いた試験データとの比較を可能にするための理論的基礎の確立。
A)後遺症を検討するため、鉛中毒の成人の過去のコホート(訳者注:疫学研究において対象とする特定の集団)の追跡研究(可能な場合)。
B)家庭および土壌からの鉛の排除、血中鉛濃度の低減についてのキレート化合物形成と中枢神経系への発現影響などの中間的対策(intervention measure)の評価。



4.国際機関によるこれまでの評価
鉛および鉛化合物の発がん性は、国際がん研究機関(IARC)により1987年に最終的に評価された(IARC,1087b)。鉛と鉛化合物のヒトにおける発がん性の証拠は不十分であるが、特定の無機鉛化合物は実験動物において発がん性を示す十分な証拠が入手できる。鉛および鉛化合物に対する総合的な評価は、グループ2Bすなわちヒトにおいて発がんの可能性のある(possibly carcinogenic to humans)物質と認められた。

ヘム合成と末梢および中枢神経系に対する鉛の有害影響から作業者を守るために、健康を基準にした生物学的暴露限界として1.92μモル/l(40μg/dl)が、WHO研究グループによって勧告された(WHO,1980)。次いで、生殖年齢期(reproductive age range)の女性における血中鉛濃度(PbB)は1.44μモル/l(30μg/dl)を超えるべきではない、と勧告された。作業者集団のPbBのバックグラウンド濃度を根拠として、空気中の鉛濃度は30〜60μg/m3を超えてはならない、と決定された(WHO,1980)。

飲料水の指針値として0.050mg/lが1984年に設定された(WHO,1984)。この指針値は最近0.01mg/lに改定された(WHO,1993)。

鉛は、ヨーロッパの大気質指針値を設定中のWHO作業グループにより評価された(WHO,1987)。集団の98%における血中鉛濃度を0.96μモル/l(20μg/dl)以下の濃度に維持するとの仮定に基づき、0.5〜1.0μg/m3の範囲の指針値(年平均値のような長期平均値)が勧告された。

第41回の世界食糧農業機関/世界保健機関の食品添加物・食品汚染物質の合同専門家会議(JECFA)において、暫定週間耐容摂取量(PTWI:Provisional Tolerable Weekly Intake)として25μg/kg体重が勧告された(FAO/WHO,1993)。このレベルは、すべての暴露源からの鉛を対象としており、幼児と小児を含むすべてのヒトを保護するべく設定された。これは幼児や小児による3〜4μg/kg体重の範囲の鉛の一日摂取量を示すモデルに基づいており、PbB濃度を増加させるレベルではない。数カ国の国家機関および欧州経済機構(EEC)において設定された規制基準は、国際有害化学物質登録制度(IRPTC)の法規集に要約されている(IRPTC,1987)。