環境保健クライテリア 116
Environmental Health Criteria 116


トリブチルスズ化合物 Tributyltin Compounds
(殺菌・防カビ・防汚剤)

(原著273頁、1990年発行)

-目次-
1.要   約
2.勧   告

1.要   約
1.1 物質の同定、物理的・化学的特性
トリブチルスズ(TBT)化合物は4価スズの有機誘導体である。これらの特徴は、炭素原子とスズ原子との間の共有結合の存在で、(n-C4H9)3 Sn-X(Xは陰イオン)の一般式を有する。市販のトリブチルスズオキシド(TBTO)の純度は、一般に96%以上であり、主な不純物はジブチルスズ誘導体で、少量ではテトラブチルスズおよび他のトリアルキルスズ化合物が含まれる。TBTOは特有の匂いをもつ無色の液体で、比重は1.17〜1.18である。水中での溶解度は低く、pH、温度、水中での陰イオンの存在(特性を決定する)により1.0mg/l以下〜100mg/l以上の間で変化する。海水中での正常状態では、TBTは3種類(水酸化物、塩化物、炭酸塩)の状態で存在し、平衡を保つ。その主要な構成物質は、pH値が7.0以下の場合にはBu3SnOH2+とBu3SnCl、pH8ではBu3SnCl、Bu3SnOH、Bu3SnCO3-、pH10以上ではBu3SnOH、Bu3SnCO3-である。

オクタノール/水分配係数(log POW)は、蒸留水では3.19〜3.84、海水では3.54である。TBTOは特定の物質に強く吸着され、その吸着係数は110〜55,000の範囲と報告されている。蒸気圧は低いが、報告されている数値にはかなりの変動が示されている。1mg/lのTBTO溶液では、62日間でTBTOの消失はなかったが、水の20%は蒸発により失われた。

一般的なトリブチルスズ化合物の同定
(n-C4H9)3Sn-X  (Xは陰イオンまたはヘテロ原子を介して共有結合する基)

Xの性質は物理的・化学的性質、特に水および非極性溶媒中への相対的溶解性ならびに蒸気圧に影響する
これらの化合物は無機スズとは挙動および作用の両面で異なっている

酸化トリブチルスズ(TBTO)
化学式C24H54OSn2
化学構造  3次元
分子量596
一般名tributyltin oxide
IUPAC名distannoxane, hexabutyl
CAS化学名bis(tributyltin)oxide
略称TBTO
CAS登録番号56-35-9
RTECS番号JN8750000
b 物理的・化学的特性
表 酸化トリブチルスズ(TBTO)の物理的・化学的特性
比重 (20℃) 1.17〜1.18
沸点 (130Pa) 173℃
融点 <-45℃
蒸気圧 (20℃) 1×10-3Pa
溶解性 有機溶媒 エタノール、エーテル、ハロゲン化炭化水素等に非常によく溶解する
脂質 溶解する
オクタノール/水分配係数 蒸留水
 (log POW)
3.19〜3.84
海水 3.54
屈折率 (20℃) 1.4880〜1.4895
その他の特性 TBTO1mg/l溶液からは、62日後にTBTOの損失はなく、水は蒸発により20%失われるa

a Maguire et al.(1983)
表 酸化トリブチルスズ(TBTO)の構成成分(市販品)
純度酸化トリブチルスズ      96%より高い
不純物ジブチルスズ化合物     主な不純物
テトラブチルスズ化合物
ジブチルアルキルスズ化合物
トリブチルスズ安息香酸塩(TBTB)
a 物質の同定
化学式C19H32O2Sn
化学構造  3次元
分子量411
一般名tributyltin benzoate
IUPAC名stannane,(benzyloxy)tributyl
CAS化学名tributyltin benzoate
略称TBTB
CAS登録番号4342-36-3
b 物理的・化学的特性
表 トリブチルスズ安息香酸塩(TBTB)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)≒1.2
沸点 (30Pa)≒135℃
融点20℃
蒸気圧 (20℃)2×10-4Pa
塩化トリブチルスズ(TBTCl)
a 物質の同定
化学式C12H27ClSn
化学構造   3次元
分子量325
一般名tributyltin chloride
IUPAC名stannane, tributyl-chloro
CAS化学名tributyltin chloride
略称TBTCl
CAS登録番号1461-22-9
b 物理的・化学的特性
表 塩化トリブチルスズ(TBTCl)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)≒1.2
沸点 (1300Pa)140℃
融点-16℃
フッ化トリブチルスズ(TBTF)
a 物質の同定
化学式C12H27FSn
化学構造   3次元
分子量309
一般名tributyltin fluoride
IUPAC名stannane, tributyl-fluoro
CAS化学名tributyltin fluoride
略称TBTF
CAS登録番号1983-10-4
b 物理的・化学的特性
表 フッ化トリブチルスズ(TBTF)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)1.25
沸点>350℃ (外挿)
融点240℃
トリブチルスズリノール酸塩(TBTL)
a 物質の同定
化学式C30H58O2Sn
化学構造   3次元
分子量568.7
一般名tributyltin linoleate
IUPAC名stannane, tributyl-(1-oxo-9,12-octadecadienyl)oxy-
CAS化学名tributyltin linoleate
略称TBTL
CAS登録番号24124-25-2
b 物理的・化学的特性
表 トリブチルスズリノール酸塩(TBTL)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)1.05
沸点≒140℃ (50Pa)
融点<0℃
蒸気圧 (20℃)9×10-2Pa
トリブチルスズメタクリル酸塩(TBTM)
   (単量体および重合体)

a 物質の同定
化学式C16H32O2Sn
化学構造   3次元
分子量374.7
一般名tributyltin methacrylate
IUPAC名stannane, tributyl-(2-methyl-1-oxo-2-propyl)oxy-
CAS化学名tributyltin methacrylate
略称TBTM
CAS登録番号2155-70-6
b 物理的・化学的特性
表 トリブチルスズメタクリル酸塩(TBTM)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)1.14
沸点>300℃ (外挿)
融点16℃
蒸気圧 (20℃)3×10-2Pa
トリブチルスズナフテン酸塩(TBTN)
a 物質の同定
化学式-
化学構造-
分子量≒500
一般名tributyltin naphthenate
IUPAC名stannane, tributyl-mono(naphthenoyloxy)derivatives
CAS化学名tributyltin naphthenate
略称TBTN
CAS登録番号85409-17-2
b 物理的・化学的特性
表 トリブチルスズナフテン酸塩(TBTN)の物理的・化学的特性
比重 (20℃)≒1.1
沸点 (50Pa)≒125℃
融点<0℃
蒸気圧 (20℃)9×10-5Pa
1.2 分析方法
水、堆積物、生物相(biota)中のトリブチルスズ誘導体の測定にはいくつかの方法が用いられる。原子吸光分析法(AA)が最も一般的である。フレーム付きAA分析法では、0.1mg/lの検出限度が可能である。グラファイト電気炉中の原子化を用いた無炎AAはさらに鋭敏で、0.1〜1.0μg/lの検出限度が得られる。抽出と揮発性誘導体の生成には数種類の異なる方法がある。これらの誘導体の分離は、一般的には「清浄と捕捉」(purge and trap)による方法あるいはガスクロマトグラフィーを用いて行われる。堆積物および生物相に対するこの検出限界は、それぞれ0.5および5.0μg/kgである。
1.3 環境汚染の発生源
トリブチルスズ化合物は、軟体動物駆除剤、ボート、船舶、埠頭、ブイ、カニ採り篭、魚網・魚篭の防汚剤(antifoulant)(訳者注:貝や藻などの付着を防ぐ薬剤)、木材防腐剤、石造工事用防汚剤(slimicides)(訳者注:粘質物の付着防止剤)、消毒剤、冷房設備、発電所の冷却塔、パルプ・製紙工場、醸造場、皮革製造工程、織物工場における殺菌剤(biocides)として登録されている。防汚性塗料が最初に市販された時は、TBTは自由に放出される形態をとっていた。最近では、TBTが共重合体中に組み込まれた放出制御タイプの塗料が入手できるようになった。防汚塗料および軟体動物駆除剤のため、長期にわたる徐放性と持続的効果を示すようにゴム質も開発された。TBTは植物毒性が強いため農業には使用されない。
1.4 使用上の規制
多くの国では、貝類に対する影響から、TBT防汚塗料の使用を制限している。規制の細部は国により異なるが、大多数の国では、長さが25メートル以下のボートへの使用を禁止している。一部の国では、アルミ製船体のボートについてはこの禁止から除外している。さらに、一部の国では、塗料中のTBT含有量あるいは塗料からのTBTの浸出率(長期にわたり、4あるいは5μg/cm2/日以下)の制限を規定している。
1.5 環境中濃度
高濃度のTBTが、レジャーボート施設に近い水中、堆積物中、生物相の中で、特に、マリーナの内部と近所、ボートヤード、ドライドック、防汚塗料を用いた魚網や魚篭、冷蔵設備の近辺で見出されている。潮の干満による洗い流しの程度や水の混濁度はTBTの濃度に影響を与える。

TBT濃度は、海水および河口域では1.58μg/l、淡水中では7.1μg/l、沿岸部の堆積物中では26,300μg/kg、淡水の堆積物中では3,700μg/kg、二枚貝中では6.39mg/kg、腹足類動物中では1.92mg/kg、魚類中では11mg/kgに達していることが見出されている。しかし、これらのTBTの最高濃度は、多数の要因(例えば、水中や堆積物中の塗料粒子)が例外的な高い数値をもたらすことがあるので、代表的な数値と受け取るべきではない。淡水および海水の双方の表面の薄い層で測定したTBT濃度は、表層のすぐ下での測定値よりも2桁高いことが見出されている。しかし、表面の薄層内で記録されたTBT濃度は、試料採取方法による影響が大きいことに留意すべきである。

水、堆積物、組織中のTBT測定のために利用し得る分析方法の進歩のため、古いデータと新しいデータとの比較はできない。

1.6 環境中における移動と変質
TBTは、水溶解性が低く脂肪親和特性を有するため、微粒子上に速やかに吸着される。水中に入ったTBTOの10〜95%が微粒子吸着を受けると推定されている。吸着されたTBTの漸進的な消失は、脱着によるのではなく分解のためである。吸着の程度は、塩分、懸濁液中の微粒子の特性と大きさ、懸濁物質の量、温度、溶存有機物質の存在に依存して変化する。

TBTOの分解には炭素-スズ結合の開裂が含まれる。これは環境中で同時に起こる種々のメカニズムから生じ、それには物理-化学的メカニズム(加水分解および光分解)と生物学的メカニズム(微生物による分解および高等生物による代謝)が含まれる。有機スズ化合物の加水分解は極端なpHの条件下で起こるため、通常の環境条件ではほとんどあり得ない。光分解は、実験室において溶液を300nm(および低レベルの350nm)の紫外線への暴露中に起こる。自然条件下では、日光の波長範囲と、水中への紫外線の浸透の限度により、その光分解は限定される。感光性物質の存在は光分解を促進させる。生分解は、温度、酸化状態、pH、金属元素濃度、共同代謝(co-metabolism)で容易に生分解される有機物質の存在、微生物群の特性とその適応能力により左右される。また、この生分解は、TBTO濃度が微生物に対する致死的な閾値あるいは抑制的な閾値以下であることにより行われる。非生物学的分解と同じく、TBTの生物学的分解は、炭素-スズ結合の開裂で見られる漸進的な酸化性の脱ブチル化であり、トリブチルスズよりも容易に分解されるジブチル誘導体が生成される。また、モノブチルスズは徐々に金属化される。嫌気性分解は起こるが、その重要性についての意見の一致は得られていない。一部の研究者は嫌気性分解は遅いと見なし、他の研究者は好気性分解よりも早い、と考えている。細菌、藻類、木材腐食真菌(カビの一種)はTBTOを分解できることが確認されている。環境中におけるTBTの半減期の予測値はきわめて広範囲にわたっている。

TBTは脂肪中における溶解性のため、生物中において生物濃縮される。実験室における軟体動物と魚類による研究では、7,000までの生物濃縮係数が報告されており、野外研究ではそれ以上の高数値が報じられている。水からの直接の取り込みよりも、食餌からの摂取の方が重要である。微生物類におけるより高い濃縮係数(100〜30,000の間)は、細胞内への取り込みよりも吸着作用を反映しているのであろう。TBTが食物連鎖を通じて陸生生物類に移行するとの徴候はない。

1.7 体内動態および代謝
トリブチルスズは消化管から吸収され(担体により20〜50%の範囲)、また哺乳類で経皮的に吸収される(約10%)。それは血液-脳関門の通過が可能で、胎盤から胎仔へ移行する。吸収された物質は、速やかに体組織内に広く分布される(主として肝臓と腎臓)。

哺乳類中でのTBTの代謝は速やかで、代謝生成物はTBT投与の3時間内に血中において検出できる。In vitro(試験管内)研究では、TBTは混合機能オキシダーゼの基質であることが示されたが、これらの酵素はきわめて高濃度のTBTにより阻害される。

TBTの消失速度は各体組織により異なり、哺乳類における生物学的半減期は23〜約30日の範囲と推定されている。

TBTの代謝は下級生物類でも起こるが、哺乳類よりも遅く、特に軟体動物では著しい。そのため、生物濃縮の容量は哺乳類よりもずっと大きい。

TBT化合物は,酸化性リン酸化を妨げ、ミトコンドリアの構造と機能に変化を与える。TBTはカキ(Crassostrea種)の貝殻の石灰化を阻害する。

1.8 微生物類への影響
TBTは微生物に対して毒性を有し、殺菌剤およびアルジサイド(訳者注:藻類を枯らすための薬剤の総称)として市販され使用されてきた。毒性作用を示す濃度は、生物の種類により大きく異なる。TBTは、グラム陰性菌[MIC(最小阻止濃度):3mg/l]よりもグラム陽性菌(MIC:0.2〜0.8mg/l)に対する毒性の方が強い。真菌(カビ類)に対するTBT酢酸塩のMICは0.5〜1mg/l、緑色藻Chlorella pyrenoidosaについてのTBTOのMICは0.5mg/lである。自然群落における淡水藻類の当初の生産力は、3μg/lのTBTO濃度において50%まで減少した。2種類の藻に対して最近設定された無影響量(NOEL)値は、それぞれ18および32μg/lであった。海洋微生物に対する毒性も同様に、種類により、また研究により変わり、NOELの設定は困難であるが、ある種に対しては0.1μg/l以下である。アルジサイドの濃度は、異なる種々の藻に対して、1.5μg/l以下から1,000μg/l以上まで広がっている。
1.9 水生生物類への影響
1.9.1 海洋および河口域生物類への影響
海洋および河口域で測定されたTBT濃度について、致死的および亜致死的影響の概要を図1に示した。世界の多くの地点で、急性致死を引き起こす濃度を超える高い濃度が見出され、特にレジャーボート活動との関連が認められている。

TBTに対して最も感受性が高いのは、緑色大型藻類(macroalga)の自動力のある胞子(the motile spores)の発生段階である[5日間のEC50(50%効果濃度)は0.001μg/l]。海水被子植物はTBT濃度1mg/kg堆積物において成長が低下したが、0.1mg/kgにおいては影響はなかった。

トリブチルスズは海洋性軟体動物に対して高い毒性を示す。この物質は、成育段階のカキの貝殻の形成、成熟カキの生殖腺の発達および性、幼生期のカキとその他の二枚貝の定着(settlement)・成長・死亡率、メスの腹足類動物の生殖障害(imposex)(オスの特徴の形成)に影響することが実験的に示されている。最も感受性の高い種類のカキ(Crassostrea gigas)の卵に対するNOELは約20ng/lと報告されている。TBTは、成熟カキの貝殻に用量相関性の奇形を生じさせる。2ng/lの濃度のTBTにおいては、貝殻の形態への影響は観察されなかった。メスのムシロガイの生殖障害は1.5ng/l以下で発生した。一般に幼生期の虫体は成熟体よりも感受性が高く、この差異はカキの場合には特に著しい。

橈脚類はTBTの急性致死作用に対して他の甲殻類よりも感受性が高く、96時間までの暴露におけるLC50(50%致死濃度)値は0.6〜2.2μg/lの範囲である。これらの数値は他の甲殻類の感受性の高い幼生と同程度である。TBTは、甲殻類の生殖機能、新生虫の生存率、幼虫の成長率を低減させる。アミエビ(Acanthomysis sculpta)の生殖に対するNOELは0.09μg/lが示されている。grass shrimp(エビの一種)によるTBTの回避行動(avoidance)は30μg/lまでの濃度では認められなかった。

トリブチルスズの海水魚類に対する毒性は大幅に変動し、96時間のLC50値は1.5〜36μg/lの範囲である。幼生期は成熟期よりも感受性が高い(図1)。海水魚類は1μg/l以上の濃度のTBTOを回避する徴候がある。

1.9.2 淡水生物類への影響
淡水中で測定されたTBT濃度の致死的および亜致死的影響に関する要約を図2に示した。亜致死的影響をもたらす濃度が見出され、それらは特にレジャーボートの活動に関連性を示した。

淡水被子植物は0.5mg/lの濃度のTBTOにより枯れ、その成長は0.06mg/l以上の濃度で阻害された。

淡水無脊椎動物類についてのデータはほとんどなく、標的生物種以外にはわずか3種類のみである。TBTの各種塩類における48時間のLC50値は、ミジンコ(Daphnia)では2.3〜70μg/l、イトミミズ(Tubifex)では5.5〜33μg/lを示した。ミジンコにおける無影響量(NOEL)は光線に対する正常反応の反転に基づいた場合0.5μg/lと推定されている。アジア産ハマグリの24時間LC50は2,100μg/lと報告されており、住血吸虫症防除における標的の巻貝成熟体に対する濃度は30〜400μg/lである。

トリブチルスズは、水生段階の住血吸虫の幼生に毒性を示し、そのLC50(フッ化トリブチルスズ)は1時間暴露において16.8μg/lと算出されている。ラットにおいて、セルカリア(訳者注:吸虫の仔虫)の感染を99〜100%防止できるTBT用量は2〜6μg/lである。

TBTに対する巻貝の感受性は加齢とともに低下するが、卵は幼若および成熟動物のいずれよりも抵抗性が高い。その産卵数は0.001μg/lの濃度のTBTOにより有意の影響を受ける。

TBTの淡水魚類に対する急性毒性は、168時間までのLC50試験では13〜240μg/lの範囲であった。グッピーの無影響量は、組織病理学的影響に基づいた場合には0.01μg/lと推定された。

3μg/l以下の濃度のTBTに暴露されたカエル(Rana temporaria)の卵および幼生には生存率への影響は見出されなかったが、30μg/lにおいては有意の死亡率増加が観察された。

1.9.3 ミクロコスム的研究(microcosm studies)
海洋生態系をモデルとしたミクロコスム的研究が、導入した生物類と、他の生物類による群落が作れるよう海水流入の状態において実施された。その結果、水中のTBTO濃度0.06〜3μg/lの間において、個体数と種の多様性のいずれにおいても減少が示された。

淡水モデルの生態系における結果は、淡水巻貝を死滅させる用量は魚類を含む他の生物種にも影響を及ぼすことを示唆している。

1.10 陸生生物類への影響
TBTへの陸生生物類の暴露は、その木材防腐剤としての使用から生じる。TBT処理の材木で作った巣箱に住むミツバチに対してTBTOは毒性を示す。1件の研究では、TBTはコウモリに毒性影響を与えたが、この結果は対照群の高い死亡率のため統計学的には有意ではなかった。TBT化合物は、局所的にあるいは処理木材上での飼育を介して暴露される昆虫に毒性を示す。野生ハツカネズミに対するTBTの急性毒性は中程度であり、忌避試験(repellency tests)で用いられる処理済み種子の摂取量に基づく食餌のLC50値は37〜240mg/kg/日の範囲と推算された。
1.11 野生生物への影響
野外観察では、高濃度のトリブチルスズは、二枚貝の幼生の死亡率と定着の失敗、成育中のカキにおける成長の減退、貝殻の肥厚およびその他の奇形、田螺(たにし)(mud snail)の生殖障害、ムシロガイにおける生殖障害(個体数の減少と同時に存在する)との関連が認められた。カキ漁業の完全な破壊は最初フランスにおいて、後に他の国で確認され、水中のTBT濃度との関連を示した。その影響は、レジャーボート・マリーナの近くにおいて最も著しかった。小型ボートへのTBT防汚塗料の使用規制により、カキの生殖と成育に回復が見られた。しかし、一部の海域のTBTの水中濃度は、依然として、海洋腹足類動物に影響を及ぼすのに十分なほど高い。

太平洋カキ(Pacific oysters)の貝殻の成長と小室形成、ムシロガイにおける生殖障害の双方は、TBT汚染の生物学的徴候として用いられている。

堆積物中におけるTBTの生物類への影響はほとんど研究されていないが、居住する生物類に利用され、自然界における死亡を生じさせる徴候がある。

防汚塗料を使用した隔離用漁網によりTBTに暴露された養殖海洋魚類においては、重大な毒性影響と組織病理学的変化が報告されている。

住血吸虫症を伝播する淡水巻貝に対して、軟体動物駆除剤としてのTBTの使用が提唱されている。実施された一部の野外試験では、標的外の生物類に危害を与えずにTBTを施用するのは難しいことが示された。

1.12 実験動物への毒性
1.12.1 急性毒性
トリブチルスズは実験動物に対して中程度から高度の毒性を有し、ラットに対する急性経口のLD50値は94〜234mg/kg体重の範囲、マウスにおいては44〜230mg/kg体重である。モルモットおよびウサギに対する急性毒性も同一範囲内である。この変動は、トリブチルスズ化合物の「陰イオン」成分に由来している。これらの化合物は、消化管からの吸収はごく部分的であると推測されるため、経口ではなく腸管外投与(訳者注:皮下・静脈・筋肉内注射をいう)によりさらに高い致死性を発揮する。

急性暴露のその他の影響には、血中脂質濃度、内分泌系、肝臓、脾臓の変化、脳発育における一過性の欠陥が含まれる。本化合物の高用量の単回投与後に報告されたこれらの影響の毒性学上の意義は疑問視されており、その死因は依然不明である。

経皮投与による急性毒性は低く、ウサギに対するLD50(50%致死量)は9,000mg/kg体重以上である。ラットにおける「鼻部限局」の吸入のLD50(4時間)は77mg/m3(吸入可能の微粒子のみを考慮した場合には65mg/m3)である。TBT蒸気と空気の混合物では、飽和状態においても毒性影響は発現しない。しかし、TBTはエアロゾルとして吸入された場合はきわめて危険で、肺への刺激と水腫を発現する。

TBTは皮膚を強く刺激し、眼に対しては極度の刺激物質である。TBTOは皮膚感作(訳者注:過敏状態の誘発)物質ではない。

1.12.2 短期毒性
TBT化合物は、ラットにおいて最も広く研究されてきた(本項におけるすべてのデータは、特に示した以外はラットを対象としている)。

混餌中用量320mg/kg(約25mg/kg体重)において、暴露期間が4週間を超えた場合には高い死亡率が認められた。100mg/kg混餌(10mg/kg体重)あるいは12mg/kg体重/日の強制経口投与(administration by gavage)後には死亡は見られなかった。ラットにおいて、出生後早期の投与では3mg/kg体重で死亡数の増加を生じた。致死量における主な症候は、食欲喪失、脱力、衰弱であった。

ラットの成長についての境界線上の影響(borderline effects)が、50mg/kg混餌(6mg/kg体重)および6mg/kg体重(強制経口投与試験)において観察された。マウスの感受性はラットよりも低く、影響は150〜200mg/kg食餌(22〜29mg/kg体重)において認められた。

内分泌器官、主として脳下垂体および甲状腺への構造上の影響は、短期および長期試験の双方において認められている。短期試験中には、脳下垂体循環ホルモン濃度の変化、生理学的刺激(脳下垂体栄養ホルモン)に対する反応の変化が観察されたが、これらの変化は長期暴露後にはないように見えた。この作用のメカニズムは知られていない。

TBTOの濃度2.8mg/m3のエアロゾルへの暴露は、高い死亡率、呼吸困難、気道内の炎症性反応、リンパ器官の組織病理学的変化を発生させた。しかし、常温におけるTBTO蒸気の最高到達濃度(0.16mg/m3)への暴露では影響は認められなかった。

肝臓および胆管への毒性影響は、3種類の哺乳類において報告されている。餌中のTBTO濃度320mg/kg(約25mg/kg体重)による4週間の飼育のラットにおいて、また、80mg/kg混餌(約12mg/kg体重)で90日間飼育のマウスにおいて、肝細胞の壊死と胆管内の炎症性反応が認められた。10mg/kg体重の用量により8〜9週間飼育のイヌにおいては、門脈周囲の肝細胞の空胞形成が見られた。これらの変化は、時には、肝臓重量の増加と血清中の肝臓由来酵素活性の上昇をともなった。

ラットへの80mg/kg混餌(8mg/kg体重)の投与から生じるヘモグロビン濃度と赤血球容積の減少は、小赤血球性低色素性貧血を引き起こすヘモグロビン合成過程への影響を示している。脾臓ヘモシデリン(血鉄素)濃度の低下は鉄の含有状態の変化を示唆している。貧血はマウスにおいても認められた。

ある短期研究では、腸間膜リンパ節中における赤血球ロゼッテ(訳者注:バラの花に似た細胞の放射状配列をいう)の形成が観察されたが、長期研究では認められなかった。この知見(おそらく一過性)の生物学的意義は明らかではない。

TBTOの特徴的な毒性作用は免疫系に対するもので、胸腺への影響に由来しており、細胞を介する機能が障害される。この作用のメカニズムは知られていないが、おそらくジブチルスズ化合物への代謝変換が含まれるのであろう。また、非特異的抵抗性にも影響を及ぼす。

免疫系への一般的影響(例えば、リンパ組織の重量と形態、末梢リンパ球数、総血清免疫グロブリン濃度)は、明らかに毒性を発現する用量レベル(マウスへの影響はトリブチルスズ塩化物150mg/kgにおいて見られる)により、数件の異なる研究で、ラットとイヌにおいて報告されているがマウスでの発表はない。ラットのみがその他の明白な毒性徴候なしに免疫系への一般的影響を発現し、ラットは明らかに最も感受性の高い動物である。ラットの短期試験におけるNOELは5mg/kg混餌(0.6mg/kg体重)であった。トリブチルスズ塩化物を用いた研究では、胸腺への同様の影響が見られた。これらの影響は、投与中止後には速やかに回復した。TBTOは、ラットのin vivo(生体内)のホスト抵抗性実験(host resistance studies)において、特定の免疫機能を障害することが示された。混餌中濃度50mg/kg(NOELは5mg/kg/日)への暴露後に、単球症リステリア菌(Listeria monocytogenes)のクリアランス(浄化排出)の低下が、また、トリキネラ属(旋毛虫)(Trichinella spiralis)への抵抗性の低下が50および5mg/kg混餌(2.5および0.25mg/kg/日/体重)においては見られたが、0.5mg/kg混餌(0.025mg/kg/日/体重)では認められなかった。同様の影響は高齢動物においても見られたが、これらはそれほど顕著ではなかった。

現在の知識によれば、ホストの抵抗性への影響は、ヒトへの危険性を評価するのにおそらく最も適切であろうが、これらの重要性を十分に評価するための試験系における経験は不足している。しかし、トリキネラ属モデルの重要性についての一部のデータは、無胸腺ヌードラットにおける標準的な感染実験(challenge)後の知見により得られている。これらの研究において、胸腺依存の免疫の完全な喪失は、筋肉中の幼虫数を10〜20倍増加させる一方、5〜50mg/kg混餌の濃度のTBTOへの暴露はそれぞれ2および4倍の増加を生じさせた。

現在、一部のデータは、トリブチルスズ化合物の成育中の免疫系への影響の研究から入手できるが、ホストの抵抗性についての情報はない。

最も感受性の高い動物種からのデータにより、ヒトの危険性の基礎評価を行うのは慎重な態度であろう。トリキネラ属へのホストの抵抗性への影響は、食餌中濃度5mg/kg(0.25mg/kg/日と同等)において認められ、そのNOELは0.5mg/kg(0.025mg/kg/日と同等)である。しかし、これらのデータのヒトのリスク・アセスメントに対する意義の解釈には論議がある。その他のすべての研究においては、混餌中の5mg/kg/日の濃度(短期試験に基づいた場合、0.5mg/kg体重と同等)は、免疫系の一般的、また特定的な影響に対するNOELである。

1.12.3 長期毒性
ラットによる長期試験では、5mg/kg混餌中の濃度(0.25mg/kg体重)において、TBTは一般的な毒性徴候(少数の毒性学的重要性の)に対してギリギリの(marginal)影響を示す。
1.12.4 遺伝毒性
TBTOの遺伝毒性は、広範囲の研究の対象であった。非常に多くの研究において、陰性の結果が得られており、TBTOが変異原性を有するとの確実な証拠は存在しない。
1.12.5 生殖毒性
TBTOの胚毒性は、母獣への経口投与後に3種類の哺乳類(マウス、ラット、ウサギ)により評価された。ラットおよびマウスの胎仔における主な奇形は口蓋裂であったが、これは母体に明らかな毒性を示す用量において発生した。これらの結果は、母体毒性を形成する用量以下のTBTOの催奇形性を示すとは見なされなかった。これら3種すべての動物に対する胚毒性および胎仔毒性についての最低のNOELは1.0mg/kg体重であった。
1.12.6 発がん性
ラットによる1件の発がん性試験が実施され、50mg/kg混餌において内分泌器官における新生物性(腫瘍性)の変化が観察された。脳下垂体の腫瘍が0.5mg/kg混餌において報告されているが、用量-反応関係を欠くため生物学的意義はないと見なされた。これらのタイプの腫瘍は、通常、高率で変化しやすい自然発生率を有するため、その意義は疑問視されている。マウスに対する発がん性試験は進行中である。
1.13 ヒトへの影響
作業者のトリブチルスズへの職業暴露は、上部気道に刺激を生じさせることが見出されている。エアロゾルとしてのTBTは、ヒトに対し有害である。TBTOは皮膚および眼の刺激物質であり、皮膚への直接接触後の重度の皮膚炎が報告されている。皮膚に対して即時の反応を生じさせないことが問題を悪化させている。



2.勧   告
2.1 ヒトと環境による健康保護のための勧告
a)TBTの使用について未規制の加盟各国に対し、規制実施を奨励する。
b)防汚塗料以外の暴露源からの有機スズの環境への取り込みを評価し、もし必要であれば規制を要する。例えば、この中にはTBTに汚染された下水汚泥の土壌への施用からのリスクの評価が含まれるであろう。
c)有機スズ塗料の安全な使用、除去、廃棄のため、より良い方法を開発すべきである。
2.2 必要な研究
a)pg/l(訳者注:1リットル中のピコグラム数、ピコは1兆分の1、1-12)レベルの濃度のブチルスズ化合物について、迅速で正確な測定ができるよう、検出と分析法を改善すべきである。この勧告の根拠は、生物学的影響、例えば腹足類動物の生殖障害は、現在の検出限界以下で起こるからである。
b)TBTの基礎的化学的特性と生物学的分子との相互作用に特に注目し、TBTの分散よりも、その分解を妨げる濃縮のメカニズムを研究する必要性がある。すべての栄養レベルにおけるTBTの取り込みについて、さらに研究が必要である。
c)水生生物におけるTBTの毒性研究が必要である。この研究では、代謝、内分泌への影響、もし必要であれば免疫系への毒性を検討すべきである。
d)淡水生物種を含む、その他の感受性の高い生物指標種の研究が必要である。
e)哺乳類における免疫毒性評価のために、モデルの妥当性の確立と、適切な毒性徴候に対する無影響量をより正確に把握する必要がある。
f)第二種目の哺乳類における長期毒性試験に着手すべきである。
g)第二種目の哺乳類における発がん性試験に着手すべきである。
h)ヒトによる消費のため、品目特定法(speciating method)による魚類および貝類におけるブチルスズ残留レベルについての情報が必要である。