環境保健クライテリア 131
Environmental Health Criteria 131

フタル酸ジエチルヘキシル Diethylhexyl Phthalate

(原著141頁,1992年発行)

作成日: 1997年2月24日
1. 物質の同定、物理的・化学的特性、分析方法
2. ヒトおよび環境の暴露源
3. 環境中の移動・分布・変質
4. 環境中濃度およびヒトの暴露
5. 体内動態および代謝
6. 実験用哺乳動物およびin vitro(試験管内)試験系への影響
7. ヒトへの影響
8. 実験室および野外における他の生物への影響
9. 評価
10. ヒトの健康および環境の保護についての勧告
11. 今後の研究
12. 国際機関によるこれまでの評価

→目 次



1.物質の同定、物理的・化学的特性、分析方法

a 物質の同定

化学式             C24H38O4
化学構造

3次元の化学構造の図の利用
図の枠内でマウスの左ボタンをクリック → 分子の向きを回転、拡大縮小 右ボタンをクリック → 3次元化学構造の表示変更

分子量 390.57 一般名 di(2-ethylhexyl)phthalate 略称 DEHP その他の名称 BEHP, 1,2‐benzenedicarboxylic acid bis(ethylhexyl) ester, bis(2‐ethylhexyl) 1,2‐benzenedicarboxylate, bis(2‐ethylhexyl) ester of phthalic acid, bis(2‐ethylhexyl) phthalate, di(2‐ethylhexyl) ortho‐phthalate, di(ethylhexyl) phthalate, dioctyl phthalate, DOP, ethylhexyl phthalate, 2‐ethylhexyl phthalate, octyl phthalate, di‐sec‐octyl phthalate, phthalic acid dioctyl ester 商品名 Bisoflex 81, Bisoflex DOP, Compound 889, DAF 68, Ergoplast FDO, Eviplast 80, Eviplast 81, Fleximel, Flexol DOP, Goodrite GP 264, Hatcol DOP, Kodaflex DOP, Mollan O, Nuoplaz DOP, Octoil, Palatinol AH, Platinol DOP, Pittsburgh, PX‐138, Reomol DOP, Reomol D 79P, Sicol 150, Staflex DOP, Truflex DOP, Vestinol AH, Vinicizer 80,Witcizer 312 (IARC,1982;NIOSH,1985) CAS登録番号 117-81-7 CAS化学名 1,2-benzenedicarboxylic acid bis(2-ethylhexyl) ester IUPAC名 phthalic acid bis(2-ethylhexyl) ester RTECS登録番号 TI035000 換算係数 1 ppm = 15.87 mg/m3 1 mg/m3 = 0.063 ppm   b 物理的・化学的特性 物理的状態  無色あるいは黄色 油状液体 (室温常圧中) 沸点(101.3kPa) 370℃   (1.33kPa) 236℃   (0.67kPa) 231℃ 融点 −46℃ 引火点(開放系) 425℃a 密度(20℃) 0.98 g/ml b 蒸気圧 8.6×10−4 Pa c 溶解性(20℃)    水 非コロイド状 DEHP 45μg/l d    (20〜25℃)  コロイド状に分散すると溶解度は増す e 285μg/lf 340μg/l c 360μg/l g    (25℃)   塩水中 160μg/l c     大多数の一般的な有機溶媒 混和する     血液中 水中より溶け易い n‐オクタノール/水分配係数 3〜5 (log Pow)  疎水性が有り、ジクロロメタン−クレブス重炭酸塩緩衝液における分配比は1130 と測定されている。a,h a; Clayton & Clayton (1981), IARC (1982), SAX(1984)より b; Fishbein & Albro (1972)より c; Howard et. al. (1985)より d; Leyder Boulanger (1983)より e; Klopfer et. al. (1982)より f; Hollifield (1979)より g; Defoe et. al. (1990)より h; Krauskopf (1973), Sittig(1985)より  フタル酸ジエチルヘキシル(DEHP)は、室温で無色あるいは黄色を呈する油状液 体のベンゼンジカルボン酸エステルの一種である。その水溶解性は低く(0.3〜0. 4mg/l)、海水ではさらに低い。大多数の一般的な有機溶剤と混和する。DEHPの揮 発性は比較的低い[8.6×10−4Pa]。  各種の媒体中のDEHPの測定には、多くのサンプリングおよび分析方法が開発さ れてきた。ガスクロマトグラフィー・質量分析法・高速液体クロマトグラフィーのよ うな鋭敏な方法の使用が増加している。低濃度のDEHPの分析は、サンプリングお よび分析で用いたプラスチック器具からの汚染がありうるため困難である。


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2.ヒトおよび環境の暴露源  環境中に存在するほとんどすべてのDEHPは、天然の物質ではなく人為的起源によるものである。  世界におけるDEHPの生産は、過去数10年間に増加し、現在年間約1×106トン である。この1/3は米国で、また、1/3は欧州で生産されている。  DEHPは、樹脂を軟化させるのに最も広く使用されている可塑剤である(すべての フタル酸エステル可塑剤の50%を占める)。それはプラスチックの40%(W/W)以 上を占めるかも知れない。DEHPは、ビルディング・建築・包装・医療機材部品に使 われるポリ塩化ビニル(PVC)の製造に用いられる。少量は工業用ペイントに、また、 誘電性の流体としてコンデンサーに使用される。  廃棄されたプラスチック製品は、焼却あるいは埋立地での投棄によりおそらく処理 されるだろう。低温度における焼却の間に、DEHPの大部分は大気中に失われるであ ろう。埋立地におけるDEHPの環境中での挙動は十分には研究されていないため、 明確な結論には到達できない。 3.環境中の移動・分布・変化  大気中の移動は、フタル酸エステルが環境中に入る 主要な経路である。大気中のDEHPは降下しあるいは降雨により洗い流される。  DEHPは高いオクタノール−水分配係数をもつため、水と有機物質を多く含む土壌 あるいは底質との間の平衡は、土壌または底質に対して選択的である。それは有機質 の土壌微粒子により容易に吸着される。  DEHPの水中における溶解性は低いが、有機微粒子への吸着および溶解有機物質と の相互作用のため、表層水中に存在する量はより多いであろう。それは特に小粒径の 微粒子により吸着され、その吸着性は海水(salt water)中では増強される。  大気中におけるDEHPの光分解は速やかであるが、その環境中の化学的加水分解 は実際上は存在しない。  数種の土壌微生物により好気性分解することが見出されている。しかし、環境中の DEHPの微生物分解は遅いことが報告されている。生分解の経路は、モノエステルへ の加水分解で始まり、次にフタル酸となる。ピルビン酸塩およびコハク酸塩へ開環分 解し次にCO2・H2Oとなることは、安息香酸の代謝経路と類似している。好気 性分解は温度依存性で、10℃以下では分解はほとんど起こらない。より高い温度で、 生分解は土壌の上層で進行するが、嫌気性条件下のより深い場所では実際上は生じな い。嫌気性分解は、もし生じたとしても、好気性分解よりもずっと遅い。  DEHPは高度に脂肪親和性で、中程度に難分解性である。生物濃縮の程度は、生物 がDEHPを代謝する能力に依存している。それは多種類の水生無脊椎動物・魚類・ 両生類において高度に蓄積されることが示されている。  DEHPを植物の葉の表面に施用した場合、15日間以上での消失は極めて少なかっ た。植物による土壌あるいは下水汚泥からの取り込みは少ないことが見出されている。
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4.環境中濃度およびヒトの暴露  DEHPは環境中に広く存在し、空気・降雨・水・ 底質・土壌・生物を含むほとんどのサンプル中で見出されている。その濃度は一般に 工業地帯において最高値を示す。  300ng/m3までのDEHP濃度が都市部および汚染大気中で発見されている。海洋 地域の大気中では0.5〜5ng/m3の濃度が報告されており、これらの地域の雨水中 には約200ng/lが含まれていた。可塑剤製造工場近くの地区の雨水サンプルは、乾燥 蓄積物の割合として0.7〜4.7μg/m2/日を示した。  河川および湖沼のDEHP濃度は4μg/lまでが見出されており、最高値は工場排水 地点と関連していた。海における濃度は1μg/l以下で、最高濃度は河口地帯で発見 された。  DEHPはその疎水特性のため、土壌・底質・微粒子物質に容易に吸着される。河川 堆積物中の濃度は70mg/kg(乾燥重量)が報告されており、排出地点の近くでは1, 480mg/kg(乾燥重量)にまで達した。  生物相におけるDEHP濃度は1μg/kg以下から7,000μg/kgまで変動する。そ れは、魚類・貝類・卵・チーズのような多種類の食品から発見されている。平均暴露 量は、1974年の米国において約300μg/人/日、1986年の英国においては20μg/ 人/日と推定されている。  プラスチック器具を用いた輸血その他の医療処置は、ヒトに対してDEHPへの無 意識の暴露をもたらすであろう。患者の肺組織内では13.4〜91.5mg/kg(乾燥重 量)の濃度が検出されている。  入手し得る少数のデータでは、作業場のDEHP濃度として、通常1mg/m3以下 となっている。 5.体内動態および代謝  経口投与について入手できるデータは、DEHPは消化管内 において膵臓リパーゼにより加水分解されることを示している。その代謝生成物のモ ノ(2‐エチルヘキシル)フタル酸エステル(MEHP)および2‐エチルヘキサノー ルは、速やかに吸収される。ラットに対し14Cを標識したDEHPを経口投与(2. 9mg/kg)した場合、その50%以上が尿あるいは胆汁中で回収された。DEHPの経口 投与量の生物学的とり込み能は、老齢のラットよりも若齢の動物の方がより高いよう に見える。  経口投与の場合、DEHPはラットのような特定の動物においては、消化管において 広範囲に加水分解され、主としてモノエチルヘキシルフタル酸エステル(MEHP)と して分布する。しかし、霊長類およびヒトにおいては、加水分解の程度はずっと少な い。MEHPは血漿タンパクに結合している。肝臓はMEHPおよび2‐エチルヘキサ ノールの代謝に対する主要臓器のように見える。さらにいくつかの代謝生成物が同定 され、ω−およびω−1−酸化が主要な代謝経路である。ω−酸化の生成物の一つま たはいくつかは、β−酸化によりさらに代謝されるかも知れない。ω−酸化では、非 線型の体内動態が観察された。DEHPの代謝では、動物種によるかなりの差異が示さ れ、ヒトにおけるω−酸化経路はラットよりも狭い。  DEHPの経口投与量(2.9mg/kg)のほとんど100%が、ラットの糞および尿中で 一週間後には回収された。胆汁と尿は主要な排泄経路である。ヒトの研究においては、 DEHPの経口投与量(0.45mg/kg)の15〜25%はMEHPとして排泄され、酸化代 謝産物が排泄産物の主要部分を構成している。
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6.実験用哺乳動物およびin vitro(試験管内)試験系への影響  DEHPの経口LD50(50%致死量)は動物の種類に依存し、約25〜34g/kgであるがMEHP の数値はより低い。ラットおよびマウスの食餌試験において、DEHPの3g/kg/日以上 の用量では90日以内での死亡を、また0.4g/kg/日のレベルでは数日以内に体重が減 少した。他の研究では、6.3〜12.5g/kg食餌は体重減少を生じさせた。  肝腫および腎臓相対重量の増加は、長期研究で投与された動物において観察された。 一件の研究では下垂体前葉に肥大細胞も認められた。  いくつかの研究では、DEHP投与(食餌中濃度は10〜20gDEHP/kg)に関連する 精巣の萎縮が数日以内に明らかに示された。若いラットは老齢動物よりも影響を受け 易く、ラットやマウスはキヌザルやハムスターよりも感受性が高いように見られた。 その萎縮の可逆性が認められている。MEHPはin vitro(試験管内)においてセルト リ細胞(訳者注:精巣内輸精管の細長い支持細胞で、その一端に精芽細胞が付着して 成熟する)に有害影響を与える。DEHPおよびMEHPは催奇形性を示す。奇形はマ ウスにおいて、0.5〜2g/kgの食餌濃度で、また胚への毒性影響は10g/kg以上の食 餌濃度において観察された。  変異原性とそれに関連する生体影響は、大多数の試験において陰性であった。 DEHPは細胞形質転換(cellular transformation)を誘発する。ラットに対し6およ び12g/kg食餌、マウスに対して3および6g/kg食餌の用量により発がん性を示した。 両動物種の両性において、肝細胞腫瘍の用量相関性の増加が認められた。肝臓のペル オキシソーム(訳者注:細胞内顆粒。過酸化水素の生成分解に関与する酵素の活性が 高い。マイクロボディともいう。)の増殖および細胞複製の誘発は、DEHPを含む特 定の非遺伝毒性発がん物質の肝発がん作用と強い関連性を示している。しかし、 DEHP誘発のペルオキシソーム増殖については、動物種間に著しい差異が観察された。  ラットの肝細胞とは対照的に、DEHP代謝生成物は培養ヒト肝細胞においてペルオ キシソームを増殖することはなかった。 7.ヒトへの影響  DEHPのヒトへの影響について、入手し得る情報は極めて限られ ている。5または10gのDEHPを投与された2名の被験者において、軽度の胃障害 が見られたが、その他の有害影響はなかった、と報告されている。
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8.実験室および野外における他の生物への影響  大多数の研究では、急性毒性実験 において10mg/l以上のLC50(50%致死濃度)値を示しており、DEHPを低毒性 と評価している。しかし、これらの濃度はDEHPの水溶解性(0.3〜0.4mg/l)を 越えている。Daphnia pulexの一件の研究は、48時間LC50が0.133mg/lで、よ り高い感受性を示唆している。測定したDEHP濃度による唯一の急性実験は、ファ ットヘッドミノウ(コイ科の魚)についてであって、0.33mg/l以上の96時間LC 50を示した。Daphnia magnaに対する延長した実験の無影響量(NOEL)は72 μg/lであった。成魚に対するNOELは62μg/l以上と決定された。孵化前12日か らの14μg/lへの暴露はマスの幼魚の著しい死亡増加を生じさせた。3.7〜11μg/l の濃度のDEHPは、魚類の脊椎コラーゲンの減少をもたらした。  ゼブラフィッシュ(鑑賞熱帯魚)の幼魚の生存は、50mg/kg食餌のDEHP濃度に おいて有害作用を受けた。底質中の25mg/kg(w/w)の濃度は、微生物の活動とオタ マジャクシの孵化数を著しく減少させた。 藻類・植物・ミミズ・鳥類に対するDEHPの急性毒性は弱い。 9.評価  DEHPは、ラットおよびマウスの生殖影響と肝発がん作用を発生させる。  ラットおよびマウスの精巣萎縮は生殖への主要な影響であり、若い動物は老齢のも のより影響を受け易い。肝臓のペルオキシソームの増殖および細胞複製の誘発は、 DEHPを含む特定の非遺伝毒性発がん物質の肝発がん作用と強い関連性を示した。し かし、DEHP誘発のペルオキシソーム増殖については、動物種間に著しい差異が観察 された。現段階では、DEHPがヒトの発がん物質である可能性を示唆する十分な証拠 は存在しない。  魚類およびミジンコ属への急性暴露に基づいた場合、DEHPが危害を示す、と立証 した文献は存在しない。しかし、環境濃度のDEHPにおいて、底質中の微生物活動 の低下が報告されている。環境中濃度と、長期実験特に魚類と両生類の幼生期の試験 において影響を生じる濃度との比較では、環境特に水と底質を介しての危害の可能性 は無視できない。生物への有害影響は、点発生源の近くの高度に汚染された水および 底質の地区において起こりそうである。  関連の研究はきわめて少ないが、DEHPの藻類・植物・ミミズ・鳥類に対する急性 毒性は弱いように見える。
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10.ヒトの健康および環境の保護についての勧告  a) 現在の処分方法を改善すべきである。  b) DEHPの環境への放出を低減させるため、対策を行うべきである。  c) DEHPの静脈経路による暴露を減少させるため、ヒトがDEHPにさらされる ことになる医療用器具と製品を詳細に調査しなければならない。 11.今後の研究  DEHPの底質の生態系への影響とその溶脱、特に埋立地から地下水への問題についての 一層の研究が必要である。  DEHPは作業場を含む空気中に存在しているため、今後の吸入試験が必要である。  暴露集団についての疫学調査が奨励されるべきである。今後は、ヒトへの健康影響 に重点をおいたペルオキシソーム増殖物質により誘発される肝発がん性のメカニズ ムについての研究が必要である。 12.国際機関によるこれまでの評価  DEHPは、1981年に、国際がん研究機関ワーキンググループにおいて検討された物 質の一つである(IARC,1982)。グループの評価は「DEHPのマウスおよびラットの 発がん性は十分な証拠があるが、適切な疫学研究は入手できない」というものであ った。ワーキンググループは「DEHPはヒトの発がん性の可能性がある物質」との結 論を下し、グループ2Bに指定した(IARC,1987)。  DEHPは食品添加物に関する国連食料農業機関(FAO)世界保健機関(WHO)の 1984年の第28回共同専門家委員会において評価された。その勧告は「食品に接触す る資材からのDEHPへのヒトの暴露を、技術的に到達できる最低のレベルにまで減 少すること」であった(WHO/FAO,1984)。食品添加物に関する1988年の第33 回のFAO/WHO合同専門家委員会において、DEHPは再度評価され、同じく「食品 中のDEHPを達成し得る最低レベルにまで低減すべきである」との勧告が出された。 委員会は、これは代替の可塑剤あるいはDEHPを含有するプラスチック素材の代替 物の採用により達成されるかも知れない、と考えている(WHO/FAO,1989)。
Last Updated :24 August 2000 NIHS Home Page here