変異遺伝部の過去10年間を振り返って


変異遺伝部のその後の10年間を振り返って
変異遺伝部設立20周年に寄せて

変異遺伝部長:祖父尼俊雄
1999年3月末日 定年退官

1。はじめに

    20年の節目を迎えてこの10年間を振り返ろうとするが、今思い起こしてみればがむしゃらに前を向いて突き進んできたような気がする。というのも過去にどのようなことをやってきたかがすぐには思い浮かばず、ところどころが断片的に思い起こされるのみである。折角の機会であるので、この際過去を思いを起こしてみたい。場合によってはそれが多少は将来への参考になるかもしれない。10年前の1988年(昭和63年)当時は、当部での主テーマである生活関連物質の変異原性のスクリーニングが継続的に行われていたが、いくつか新しい方向も見え始めている。私は、沢田稔と活性酸素による染色体異常誘発機構に関する研究を進めていた。林真は、ヒト末梢リンパ球を用いた小核試験に関する研究のために、フィンランド国立職業健康研究所に留学した年であった。能美健彦は米国マサチューセッツ工科大学での留学においてSOS修復機構におけるUmuDの機能と発現機樽に関する研究で成果を挙げて、帰国した。第3室では佐々木登志が主体となってras遺伝子を導入したBALB/3T3細胞を開発し、新しい細胞形質転換試験を樹立しようとしていた。1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけては、渡辺雅彦が主体となって行っていたサルモネラ菌の遺伝子クローニングに関する研究で、ニトロ還元酵素を高発現する菌株の開発に成功し、引き続きアセチル転移酵素高発現菌株の開発にも成功し、これが当部における研究の流れに大きな影響をもたらした。染色体異常試験に関しては、私が中心となって、米国NTPデータとの比較のために2つのチャイニーズハムスター細胞株(CHL,CHO)による試験結果の比較検討を行っていた。小核試験については、林真がMMS共同研究を通して小核試験のプロトコールに関する研究を精力的に行い、その成果が続々発表され、本共同研究が国際的に注目されていた。

    このような背景の中で石館前部長の後を継いで、1990年(平成2年)7月より私が部長の役を担うことになった。勿論、これまでの研究の継続性は重要であるが、さらに研究の新たな展開をどのようにすべきかを考えていた。バイオテクノロジーの技術は爆発的に広がっている時点であり、微生物と哺乳類細胞との研究を融合すべきであるとの判断から、部員を集めて論議したことが今でも記憶にある。具体的に実行することは簡単なことではないが、幸いに環境が整いつつあり、かなりの時間を要したが、4年後の1994年(平成6年)にサルモネラ菌とヒトのアセチル転移代謝酵素を発現するチャイニーズハムスター細胞株に関する論文を発表することができた。この細胞株の有用性には限界はあったが、このような研究によって、当部の微生物と哺乳類細胞の研究の触合の契機となったと信じている。このことがその後のトランスジェニックマウスの導入、さらには新しいトランスジェニックマウスの開発へと繋がっていったと確信している。

    InVivo遺伝子突然変異を検出する新しい試験法を渇望していた頃に、新たに開発されたトランスジェニックマウスの情報が林真より紹介され、早速部員を集めて論議したが、全員から積極的に取り組むぺきとの意見が出され、最優先して取り上げることとした。直ちに、採用して1年にも満たない鈴木孝昌を米国に派遣し(1991年2月)、半年後にはトランスジェニツクマウスの技術を本邦に一早く導入することができた。この試験系の導入も当部の研究の流れに重大な影響を与えている。以下に、主な研究テーマ毎に振り返ってみたい。

2。染色体異常

    これまでの研究の集大成として、石館前部長が 951 化合物の染色体異常に関する総説を Mutat。Res。 に発表し、さらに染色体異常試験に関するいくつかの総説を発表したのが、1988年〜1990年である。この頃、臭素酸カリの問題から酸化剤の染色体異常誘発がきっかけとなり、活性酸素による染色体異常誘発機構に関する研究を行い、いくつかの論文を発表することができた。しかし、主体となって行っていた沢田稔が1990年に退所し、私も部長職のため続けることができずいた。新たに入所した鈴木孝昌がこのテーマに興味を持っていたが、前述のようにトランスジェニックマウスの研究にまわしたため、活性酸素に関する研究の継続を断念せざるを得なかった。私個人的としては大いに未練のあるところではあるが、やむをえないと判断したわけである。

    染色体異常における新しい方向づけとしては、やはり FISH を利用した染色体ペインティング法の導入である。松岡厚子がこの手法を取得するため1991年に米国ローレンスリバーモア国立研究所に留学し、帰国後ヒトリンパ球における放射線誘発染色体異常を解析し、1994年には論文を発表することができた。さらに、放射線治療癌患者の染色体異常解析に応用し、ヒト染色体異常のモニタリングに利用できることを明らかにした。松岡厚子は1994年にドイツマインツ大学に留学し、その成果を基にV79細胞亜株における B(a)P, DMBA による数的異常の誘発という新知見を得、その誘発機構の詳細な解明を進め、成果を挙げている。

    InVitro 小核試験を染色体異常試験の代わりに用いることができるかどうかは長年に渡る課題で、当初研修生にやらせた時期もあったが、その後労働省委託研究として松岡厚子が主体となって実施し、論文を発表してきた。今年になって長年に渡って行ってきた共同研究の総括的な論文を斬くまとめることができた。

3。小核試験

    林真が発表したAO染色法の網状赤血球への応用の論文はその後の小核試験の価値を一段と高めた。MMS研究会による共同研究によって、骨髄と末梢血での小核試験の同一性が実証され、その有用性は広く世界に知れ渡っている。この手法のラットヘの応用はラット小核試験の問題点を解消し、ラットもマウスと同様に用いることができるようになった。目下、長期投与動物における小核試験の妥当性が検討されている。小核試験については、MMS研究会による共同研究の成果を抜きには語れない。林真が中心となって、小核試験のプロトコールに関する研究を精力的且つ継続的に行い、その成果は年々Mutat。Reg。に発表されている。MMS研究会による共同研究は世界的にも認められ、この流れは小核試験のみでなく、現在本邦における変異原性試験の共同研究の実施に重要な影響を与えている。

    水汚染モニタリングのために小核試験を水生生物(魚類、ウニ、貝など)に応用することが試みられ、魚類の鰓細胞、赤血球、受精卵などを用いた小核試験法は実用化の段階にきている。問題は試験結果の評価にあり、そのためには更なるデータの集積が必要と思われる。

4。遺伝子突然変異

    微生物における遺伝子突然変異では、最初に述べたように能美健彦が行った UmuD の突然変異誘発機構に関する研究が基盤となって、その成果が長年に渡って集積されている。マサチューセッツ工科大学との共同研究ではあるが、P。N。A。S。 にも論文が発表されており、さらにサルモネラ菌における umuDC の研究に発展し、突然変異誘発機構の研究の柱となっている。遺伝子レベルでの研究に加えて、機能面での解明のために、Peter Gruz が中心となって蛋白レベルでの解析を行っており、機構解明のレベルアップが進められ、将来が楽しみである。さらに注目すべきはサルモネラ菌から遺伝子クローニングに関する研究で、すでに述べたようにこの研究から、ニトロ還元酵素およびアセチル転移酵素を高発現する菌株の開発に成功した。この研究の流ればその後も継続的に行われ、メチル転移酵蒲遺伝子 (ada,ogt) のクローニング、その欠損株の開発に成功し、山田雅巳らによって論文が発表された。さらには、金秀良により UmuC 類似の DinB/DinP を高発現する菌株が開発され、その機能が明らかにされた。この論文は P。N。A。S。 に発表されている。酸化的障害と突然変異との関連の研究ために、鈴木任は酸化的 DNA 障害の修復に関する遺伝子 (mutM) の欠損株を開発した。

    微生物では復帰突然変異試験で主にスクリーニングするが、ステビオールが復帰突然変異でなく前進突然変異を誘発することを見出し、松井道子がその誘発機構を、サザンプロット法や標的遺伝子gptのクローニング及ぴ PCR 法を用いて詳細に検討を行い、1996年に論文としてまとめることができた。

    1992年にICHで変異原性試験が取り上げられ、国際ハーモナイゼーションに向けて論議が始まった。ここで議論の中心となったのがマウスリンフォーマ試験である。培養細胞を用いる遺伝子突然変異試験は沢田稔が hprt をマーカーに行っていたが、復帰変異試験と染色体異常試験とに加えて行うことにメリットが見出せないことから、中断されたままになっていた。1991年に職員として採用した本問正充は細胞株の識別に用いていた DNA fingerprinting の技法を突然変異の検出に応用していたが、1993年に米国ハーバード大へ突然変異の研究のために留学した。当時、ICHでのマウスリンフォーマ試験の対応に困惑していた私にとっては大いに助かることで、帰国したとたんに彼にマウスリンフォーマ試験の共同研究を頼んだわけである。きっかけは行政がらみではあったが、本邦での哺乳類細胞を用いる遺伝子突然変異の研究に改めて注意を向けるのには好都合であった。マウスリンフォーマ試験の共同研究の詳細を述べるのはここでは避けるが、共同研究によってこの試験の有用性と問題点を理解することができた。

    本間正充の本来の研究はハーバード大でのヒトリンパ球細胞株を用いたtk遺伝子突然変異についてであり、p53 変異株を用いて p53 が組換型変異に関与することを明らかにした。DNA レベルでの解析に加えて、FISHを利用した染色体解析や多型マーカーを利用した染色体欠損部位の検出など、多角的な分析を進めており、更なる知見が得られるものと思う。

    最初に述べたように、inVivo 遺伝子突然変異を検出する新手法が必要とされており、その要求に答えたのが、トランスジェニックマウスである。この手法をいち早く本邦に導入し、鈴木孝昌が中心となり着実に実績を挙げてきてきた。何といってもどの臓器でも調べることができるのは大きな魅力であるが、一方、実際にはかなりの手間と費用がかかり、もっと効率的な試験系の開発が望まれていた。そのため、本邦独自で且つより効率的なトランスジェニックマウスを自分たちで作り上げようと部員に呼びかけたわけである。勿論、導入する遺伝子やそれを組込むベクターの作製が基本であるから、まず、能美健彦にその開発を頼んだのである。当初は恐らくかなり困惑したであろうが、彼は得られる情報を駆使して、緻密な構想の下にユニークなベクターの開発を進めてくれた。一方、国外で開発されたトランスジェニックマウスにおいて、カラーセレクションからポジティブセレクションヘと効率化が進められ、鈴木孝昌が中心となって国立がんセンター研究所や当所病理部と共同研究を行い、興味ある結果をいくつか論文としてまとめることができた。特に、塩基配列に関するデータが入手できると、この系のメリットは大きいという印象を受けた。試験の効率化が進められる中で、国内で興味をもつ人が増え、MMS研究会での共同研究まで進展していった。さらに、黄雪が中心となって行っている cII をマーカーとする方法は、以前よりさらに簡便に試験が実施でき、塩基配列のデータもより効率的に入手できるという利点があり、トランスジェニックマウスの利用が高まるのではないかと考えている。

    トランスジェニックマウスにも当然問題点があるわけで、その1つが標的遺伝子が小さいため、大きな欠失や組換えが検出できないのではないかという点でおる。実際、放射線照射による実験では突然変異の誘発が明らかでなく、その理由は恐らくこの点にあるのではないかと考えられている。前記の能美健彦が開発したベクターには、いわゆる点突然変異の他に大きな欠失や組換えをも検出できる仕組みが組込まれている。(財)食品薬品安全センター秦野研究所、CSK等との共同研究で、このベクターのマウス受精卵への導入が開始されたのが1993年である。当初は技術的な問題もあり、なかなか思うようにはいかなかったが、多くの努力の結果漸く遺伝子を導入したマウスが得られ始めたのが1994年である。そこにもいくつかの問題があったが、繁殖して実際に使えるものなのかの確認実験を進めて、海外の学会で発表したのが1996年のカナダ、ヴィクトリアでの米国環境変異原学会第27回大会でのサテライトシンポジウムで、この年にこの報告を基にした論文が能美健彦によって発表された。現在、このマウスの有用性を確認するため、MMS研究会での共同研究が進行しており、また市販のための準備も進められている。

5。細胞バンク

    細胞バンク事業に関しても触れないわけにはいかない。というのは、細胞バンクの立ち上げの時に、米国 ATCC に赴き、1ヶ月間細胞バンクの実態を見てきたからである。また、最初の予算要求の書類を作成し、数千万円の予算枠で消耗品の積み上げに苦労したのを今でも記臆にある。また、現在ある細胞バンクの設計図を書いたのも私であり(そのために困っているところもあろうが)、当時我が国にないものを作るので、すべてが手探り状態で進んでいたのである。水沢博、佐々木登志が赴任し、体制が整備された時点でバトンタッチしたわけであるが、バンク事業については水沢博によって別途紹介されているので、詳しくはそれを参照されたい。

    蛇足になるが、第3室の増員には長期的な努力を必要としたが、とにかく現在の体制にこぎつけたのはよしとすぺきと思っている。勿論、理想はもっと上にあるわけだが、現実の理想に近いところだと判断している。対がん10ヶ年戦略から切り替えるのはかなり問題含みであったが、厚生科学課の配慮で予算確保ができた。また、分譲事業の民営化の際にも波乱含みであったが、水沢博を中心に第3室のスタッフの協力で、分譲業務はHS振興財団に移譲され、順調に進められている。

    現在、第3室はマスターバンクとして新規細胞株の開発等を進めており、そのための基礎的な研究として、増井徹による細胞増殖機構の解析、田辺秀之によるFISHを用いた染色体解析などが行われている。将来的には、細胞バンクの拡大のために、基盤研という樽想に組込むことが計画されているが、省庁再編の問題もあり、予測できない状態にある。

6。おわりに

    思い付くままに列挙してきたが、こうしてみるとかなり多様なことに携わってきたことになる。勿論、上記が当部で過去10年間に行ってきたことの全てではないし、また全てを語ることは困難である。触れなかった研究に携わった方にはご容赦願いたい。全体的にみると、少し間口が広すぎており、重要課題を絞り込んで、重点的に行えば、もっと成果が挙がったのかという反省と、これだけ様々なことをやってきたんだなという満足感とが入り混じった状態である。

    最初にも触れたように、微生物と哺乳類細胞との研究を融合したいというのが、私が部長になったときの願いで、独自のトランスジェニックマウスの開発の成功は私の願いに沿ったものであり、大いに満足すると共に自慢にもしたいと思っている。ここでは主に研究レベルのことに触れたが、その他には行政的な対応についても多くのことがあり、特にICHについてはかなり多くの時間をさいたので、述べたいことは沢山あるが割愛する。また、学会関連でも多くのことに関与してきており、特にMMS研究会の立ち上げから4,5年間の事務局の仕事は正に縁の下の仕事で、何のためにやるのかの自問自答の繰り返しで思い悩んだ。しかし、MMS研究会が軌道に乗り、成果が認められるようになって、始めてあの時の苦労が報われたとしみじみ思うことがあった。1つ付け加えるとすれば、Peter Gruz を正規の職員として採用したことである。これにもおよそ3年の年月を要して漸く実現したもので、画期的なことではないかと思っている。最後に、過去10年間で多くの実績が残せたのも、当部に優秀なスタッフが揃っていることのお陰である。石館前部長もまた他部の人も言っていたことで、新たに採用した人もいずれも優秀で、その点非常に恵まれていたと思う、3つの研究室が離ればなれになっていたが、部内はよくまとまっていたのではないかと思う。この点も大事なことで、研究のみならず多方面で成果を挙げ得た理由だと信じている。これからの10年、さらにその後の10年においても皆が力を合わせて、今以上に成果を挙げられるよう、またそうなることを信じている。石館前部長の本書の [20周年を祝して] での言葉にあるように「熟した」実を沢山得られるよう頑張って頂きたい。部員全員の過去10年間のご協力に深謝する。

平成11年3月