◇営利企業、日本進出の足固め
「お願い致しておりますアドバイザリー就任の件で、お時間頂戴できませんでしょうか」。2010年、日本再生医療学会理事の梅澤明弘・国立成育医療研究センター部長に1通の電子メールが届いた。差出人は医師の中嶋英雄・元慶応大准教授。この年5月開業した再生医療専門の「京都ベテスダクリニック」(京都市南区)院長だった。
中嶋医師とは、同じ大学出身だが「顔は知っている」程度のつきあい。メールは続く。「ラボ(実験室)の開所式を12月に行う予定で、先生のご出席をいただければ、光栄であるばかりでなく私どもとしても非常に鼻が高く箔(はく)がつきます」
梅澤理事は、日本を代表する胚性幹細胞(ES細胞)の研究者だ。ベテスダの運営に深く関わる韓国企業「RNLバイオ」は、日本での足固めのため、大学や学会などに所属する再生医療の「権威」に誘いの手を伸ばしていた。
梅澤理事は今年3月、毎日新聞の取材に「助けてほしいと頼まれたが(就任は)絶対にない」と説明した。再生医療の動向に責任を持つ学会の幹部。打診された事実を学会などに報告しなかったことをただすと、「当時はこのクリニックの情報を知らなかった。脇が甘いと言われればそうかもしれない」と色を失った。
別の大学教授も中嶋医師から、厚生労働省の指針に沿った診療のやり方について相談を受けていた。中嶋医師は毎日新聞の取材に「もう済んだことなので」と口をつぐんだ。
幹細胞を使った基礎研究に取り組む研究者(55)は07年、R社の招待に応じてソウル市内で開かれた「再生医療の国際学会」に参加した。自身の研究成果を発表したが、事前に送った発表資料の内容が、他人の講演で勝手に引用されていた。韓国での再生医療の状況を聞こうと何人かに話しかけたが「普通の学会と違って全く通じない。おかしいなと思った。この人たちはサクラじゃないか、と」。
その後、R社の担当者から2件の共同研究を持ちかけられた。R社が治療用として作った幹細胞の性質を調べるなどの内容。1件を了承したが、その後、細胞は送られてこなかった。
再びR社から接触があったのは10年。京都市内での研究会に招待された翌日、ベテスダを見学した。「観光とセットで幹細胞治療を受けられるツアーをやる」との説明に「狙いは医療ではなくビジネスだ」と確信し、関係を断った。「日本の幹細胞研究者のお墨付きを得ようとしたのだろう。広告塔にされる一歩手前だった」
開業について京都市から相談を受けた厚労省も、海外の営利企業が主導することを懸念した。当時を知る同省の担当者は「(市の開設許可にあたって)正直、実態が分かっていなかった」と明かす。
結果的にベテスダは開業。約4カ月後には幹細胞投与を受けた韓国人男性が死亡する事故が起きた。それが呼び水となって規制の流れができるまでに、日本ではまる2年を要した。
■ことば
◇海外の幹細胞治療
自国で禁止されている幹細胞治療を受けるため、欧米の患者がアジアやウクライナなど規制が緩い国に渡る現象が2008年ごろから学術誌で報告され、国際的な問題となった。さまざまな病気に「効く」とうたわれるが、安全性・有効性が十分検証されておらず、治療後のフォローがしにくい点や、患者に多額の費用を負担させることにも倫理的な批判がある。
(毎日新聞 2013/5/5より引用)