2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が発見したiPS細胞。さまざまな組織や臓器の細胞を作り出せることから再生医療への応用が期待されている。ただ、実用化するまでには技術面だけでなく、知的財産や審査制度などさまざまな課題がある。
技術面で重要になるのは、移植に使う細胞の量と質の確保だ。「移植する細胞に余計なものが紛れ込まないようにする純化が重要になる」と京都大学iPS細胞研究所の高橋淳教授は指摘する。移植に必要な細胞の数は病気ごとに違い、その数が多くなるほど培養が難しくなり、実用化のハードルは上がる。
高橋教授は、手足の震えなどの症状が出る難病であるパーキンソン病の患者からiPS細胞を作製。さらに脳内の神経伝達物質ドーパミンを出す神経細胞にして患者に移植する治療を目指している。2015~17年の臨床研究開始が目標だ。この病気を治療するため、移植に必要な細胞の数は1000万個。この量と質をどのように確保するかが重要な課題になる。
■異物を見極める目印物質の探索が不可欠
iPS細胞は患者の皮膚などから取った細胞から作り、それを移植する臓器や組織の細胞に成長させる。移植する細胞の中にiPS細胞のように活発に分裂と増殖を続ける細胞が混じっていると、腫瘍になる危険性がある。十分に育った細胞だけを選別する必要があるわけだ。異物を見極める目印となる物質を探して分類する技術を確立しなければならない。
ほかの細胞が混じらないだけでなく、選別した細胞がきちんと働くことも重要だ。異物を取り除く結果、移植する細胞の働きが落ちては意味がない。医療応用を目指す研究者は質と量を確保するため、iPS細胞から移植細胞を効率的に作製する方法や目的の細胞を選別する手法の開発を急いでいる。
一方、iPS細胞の作製や培養の技術については、ある程度メドがついてきた。京大iPS細胞研究所はiPS細胞を作るのに最適な培養液や細胞を育てるために足場となる材料などを見つけた。
これを使えば安定した品質で誰でもiPS細胞を作ることができる「マニュアル化」が実現するとみている。これを「京大方式」としてデファクトスタンダード(実質の標準)にする狙いだ。
■米バイオベンチャーの特許が障害になる可能性も
iPS細胞による再生医療を事業化するためには、特許など知的財産の確保も欠かせない。京大はiPS細胞の作製法について知的財産を取得しているが、再生医療ではiPS細胞から移植する細胞を作る技術に関する知的財産が重要になるとみられている。
理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーらは、iPS細胞から育てた網膜細胞を高齢者に多い目の難病である加齢黄斑変性の患者に移植する治療の臨床研究を13年度に実施することを目指している。研究にとどまらず、新会社を設立して近い将来を見越した事業化も視野に入れる。
その際、米国での事業化の壁になる可能性があるのが米バイオベンチャーの特許だ。同じ万能細胞の胚性幹細胞(ES細胞)から網膜細胞を作る特許を所有しており、iPS細胞から網膜細胞を作ると、その権利を侵害する可能性がある。米社は欧米で臨床試験も実施しており、事業基盤もできつつある。
採算性も問われる。「iPS細胞はES細胞よりもコストがかかる」と高橋プロジェクトリーダーは言う。患者の細胞から作ると、10倍近い差がつく可能性があるという。それだけのコストをかけたのに見合う治療効果があるのかが厳しく問われる。
ベンチャーが取り組むには資金の確保も大きな課題となる。iPS細胞を使った再生医療の事業化には、10年単位の時間がかかる。米バイオベンチャーのジェロンはES細胞から作った細胞を脊髄損傷の患者に移植する再生医療を目指していたが、事業売却を決めた。ベンチャーへの支援が乏しい日本で10年以上かかる事業化に取り組み続けるのは非常に困難だ。
国の審査制度の整備も欠かせない。研究段階の臨床研究は現在の規制でも実施できるが、事業化になると話は別だ。治療法として認める基準が明確にできていない。研究者は規制当局と話し合いながら、手探りで研究を進めている。政府はiPS細胞から作った細胞を患者に移植する際の安全確保の基準を明確にし、ベンチャー企業などが事業計画を立てやすい環境を整える必要がある。
(日経新聞 2013/1/2より引用)