◇予算集中、他分野「ジリ貧」
2008年度11件、11年度102件。これは基礎研究を支える国の「科学研究費補助金」で新規採択された、人工多能性幹細胞(iPS細胞)関連の課題の数だ。3年間で9倍以上に増えた。
ある再生医療研究者は、文部科学官僚の一言が忘れられない。「研究費を取るには、こじつけでもいいから『iPS細胞』という言葉を入れた方がいい」。それ以来、専門分野は異なるが、申請書にはこの5文字を必ず書く。
山中京都大教授がヒトの体細胞からiPS細胞を作製したと公表した07年以降、政府は計約400億円を投入した。文科省は今年夏の概算要求で、再生医療関連予算87億円の4分の3程度をiPS細胞向けとした。
山中教授が所長を務める京都大iPS細胞研究所には、今後10年で約300億円を支援する。文科省の板倉康洋ライフサイエンス課長は「日本が誇る成果の恩恵を、日本人がいち早く受けられるよう重点支援してきた」と説明する。
さらに山中教授のノーベル賞が決まると、政府は即座に支援を表明。他分野の研究者は「100万円の研究費さえ厳しい時代。自分の研究費が削られるのでは」と恐れる。
iPS細胞は受精卵などを扱わない簡便さから、研究の裾野が大きく広がった。一方で「iPSバブル」とも皮肉られる状況が起きている。専門家はiPS細胞以外の再生医療研究の停滞を心配する。
本多新(あらた)・宮崎大准教授は、ウサギの胚性幹細胞(ES細胞)とiPS細胞の性質を比較する基礎研究に取り組む。ES細胞はiPS細胞登場前は「再生医療の旗手」と目されてきた。本多准教授は「ES研究は、iPS細胞が抱える課題や謎の解明につながる可能性がある。両者を使う基礎研究は重要だが、周りにはiPS細胞の臨床応用に関心を持つ研究者が多い」と話す。
国内に4カ所あるiPS細胞研究拠点の一つ、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)はトップレベルの再生医学研究で知られるが、行財政改革で人件費などをまかなう国の運営費交付金が減り続け、12年度は01年度の6割まで落ち込んだ。そこへきたiPSバブル。同センターの研究者は「iPSプロジェクト以外はジリ貧だ」とこぼす。
これまでに国の承認を受けた幹細胞を使う臨床研究は、いずれも体内にある「体性幹細胞」によるものだ。乳歯に含まれる幹細胞を使った再生医療研究に取り組む上田実・名古屋大教授は「体性幹細胞研究がやせ細れば、ヒトへ移植する技術などで貢献できなくなり、iPS細胞の実用化にもマイナスだ」と指摘する。
社会の関心に応じて、研究費が特定分野に集中することはよくあることだ。一方、iPS細胞とは異なる医学研究分野で今後、画期的な発明や「第2のヤマナカ」が登場する可能性もある。
冒頭の再生医療研究者は「祝賀ムードの中、大きな声では言えないが」と前置きして言う。「治療法開発を待つ患者のためにも、1分野に集約しすぎて新たな可能性を摘んでは、元も子もない」
(毎日新聞 2012/12/22より引用)